「維新の会」の組織的非倫理。あるいは自民党と共産党が組んでいるというご批判についての反論(再々掲)

堺市長選挙も残すところ3日となりました。現在の情勢では両候補の支持が拮抗し、戦いは熾烈を極めています。
そのような中、竹山おさみ市長候補を、大阪における野党が相乗りで支援しているという批判が、相手陣営から激しく繰り出されています。

私は、大阪市の廃止を巡る「5・17住民投票」、同年(2015年)の「大阪ダブル選挙」においても同様の批判について見解を述べてきましたが、その時といささかも変わらぬ“誹謗広報(ネガティブキャンペーン)”が相も変わらずまかり通っていることに、内心忸怩たる思いを感じながら、ここに三度(みたび)、「自民党共産党が組んでいる」といういわれのないご批判について、私の見解を記しておきたいと思います。


(※切迫した局面につき、本記事には過去のエントリからの引用が複数含まれておりますことをご容赦願います)

 


堺市長選挙の正しい構図とその理由。>

前々回のブログエントリで、私は「今般の堺市長選挙は堺市の廃止・分割=大阪都構想への賛否」が最大の争点であることを示しました。“いわゆる都構想”が、政治的な意義も政策的な効果も皆無であることは、これまで多くの政治家、専門家によって何度となく繰り返し指摘されてきました。日本有数の大都市である大阪市を廃止・分割することは、大阪府はもちろん日本にとっても深刻な影響が懸念されますし、そこに堺市が巻き込まれることも絶対に阻止しなければなりません。


と同時に、今回の戦いは「都構想」という地方自治史上最大のデマゴギーを掲げ、政治と行政への信頼を失墜させ、社会秩序を乱す『維新政治』そのものと対峙することです。


維新の会は今回の選挙でも、以前に増して悪辣な手口で有権者の不安をあおり、煽動しています。
今どき悪徳通販業者でも使わないような“錯視”を用いたグラフと、誇張した虚偽の数字で、堺市が財政難であるかのような印象操作を徹底的に市民に向けて行いました。
また、極めて恣意的なアンケートから個人の意見を抽出するという悪質な手法で、個人の事実誤認があたかも世論であるかのように装ったチラシを作成し、巧妙にデマを撒き散らしました。
さらに、それらのデマを元に各所で演説を行い、あまつさえ選挙公報にまで虚偽としか言えない内容を記載し、有権者をも欺きにかかりました。
その演説の内容や広報の姿勢は、もはや公党・公人が行うものとは思えないほど狡猾で悪意に満ち溢れたものです。

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維新のこのような政治に臨む姿勢は、当然のことながら「思想・信条(イデオロギー)」以前の問題であり、政治に対してまともな倫理感覚を持っていれば、到底、許容できるはずがありません。
維新のやってることは、大げさではなく、民主政治に対するテロ行為です。
だからこそ、各党、各議員が互いの思想・信条を乗り越えて、「維新政治」に対して強く異を唱えているのです。


そのような状況に対して、「思想信条の異なる勢力が結託している」と批判することは、自らの欺瞞を隠蔽するための詭弁であり、悪質な論点のすり替えです。

 


<維新の会の組織的非倫理はいかにして蔓延したのか。>

維新の会は自らの背信と欺瞞によって生じる不都合を、他者に責任転嫁したり、一方的なレッテルを貼ったりすることで大衆を煽動し、有耶無耶にすることで延命を図ってきました。しかし、責任や罪をなすりつける相手もそう都合よく見つかるわけではないので、その度にデマや捏造、歪曲やミスリード、レッテル貼り、驚くべき変節、背信など、ありとあらゆる詐欺的手法を駆使して他者を貶めてきました。その対象とされたのはマスコミ、労働組合、文化芸術、学者、自民党...など枚挙に遑がありません。
他人を裏切ると恨みも買いますし、信頼関係においても不都合が生じますから、それを覆い隠すために、さらに別の他者を敵や抵抗勢力、悪者に仕立て上げて攻撃する。その繰り返しです。
維新の会は自ら、裏切りと虚言の自転車操業に陥っていると言えます。


文筆家の松本創氏がTwitterに書いています。

維新の政治手法は橋下氏以来、敵認定した相手を徹底的に攻撃し、口汚く罵倒して、見ている者の負の感情を煽るのが基調。攻撃し続けるためには、前任者や対立党派の実績は決して認められないし、事実も平気で曲げる。彼らの政治手法が、ウソやデマを量産し続けないと維持できない構造なんですよね。


事実、「橋下・維新の会」と呼ぶべき組織の歴史は、背信と裏切りの歴史です。

維新の会は、8年前の2009年、大阪府知事だった橋下徹氏が自身を支援した自民党を裏切り、自民党議員を引き抜いて結成したのが始まりです。

同年の堺市長選挙では「行政の神様」と持ち上げた前職市長に竹山修身市長を刺客として送り込み落選させました。その竹山市長の就任後には突然大阪都構想を言い出し、維新の会を結成して堺市の解体を進めます。
大阪市では水道事業など府市連携を図っていた平松市長に対し、橋下氏自らが大阪市長選に鞍替え出馬し追い落としました。

維新の会が政党として国政に進出した後は、民主党、太陽の党(次世代の党)、みんなの党、結いの党などと離合集散を繰り返し、最後は「維新の党」内で身内同士の泥沼の争いを繰り広げたのは記憶に新しいところです。

公明党に対しては衆院選に絡んで圧力をかけることで交わした都構想協力の密約をバラして煮え湯を浴びせた上に、創価学会を指して「宗教の前に人の道がある」と一方的な罵詈雑言をぶつけました。その後、再度の住民投票で歩み寄った公明党にも、「総合区はカモフラージュ」と口を滑らせ、利用しているだけであることを白状しました。

また、橋下氏が慰安婦発言で窮地に立った際は、橋下氏を慮って失言をした元・たちあがれ日本西村眞悟衆議院議員を、トカゲのしっぽ切りのごとく除名し、自らの保身を優先しました。

安倍首相官邸とはたびたび蜜月をアピールしていますが、これもたちの悪いパフォーマンスです。住民投票前に官邸に協力を要請しながら住民投票が終われば安倍内閣の不信任案に賛成したことを、我々自民党員は絶対に忘れてはなりません。

他にも、橋下氏の初めての立候補の際には2万パーセント出ない、住民投票はラストチャンス、負ければ政治家は引退、大阪市はつぶしません……その場限りの口から出まかせで、有権者をも何度も何度も欺きました。


10年近くに渡って、ここまでの背信行為を続けざまに見せられれば、維新を信用しろという方が無理です。

 


<維新の会は保守ではない>

維新の会は自民党の分派としてスタートしたことは先に述べました。
そもそも橋下徹氏も松井一郎知事も永藤英機候補も、自民党に所属していたり支援を受けたりしたことのある政治家です。
初期の維新メンバーは、自民党が野党に転落した時に泥舟から逃げ出すようにして出ていった方々がほとんどで、その裏切り行為に対する負い目のような心理に起因する近親憎悪や復讐衝動のような負の感情が、当初、組織の強い原動力としてありました。
それらは彼らにとって、自身あるいは党の歴史に刻み込まれた拭い難い汚点であるので、それを消し去るために、自民党を仇のごとく徹底的に攻撃したのです。


ところで、維新の会が「保守政党」でないことは、党の綱領(基本方針)を見れば明らかです。綱領には、首相公選制、国会の一院制、中央集権体制の打破など、国家解体のための政策が並ぶ、独裁を念頭においた「革命政党」です。
そもそも、政令市の廃止・分割という政策が保守的な思想に根差したものではありません。100年の歴史を超える自治体を解体してリセットし、新しい統治機構を作ろうなどという発想には、地域の絆や郷土意識といったものの分断を狙った、紛う方なき革命思想がバックボーンにあります。


そんな彼らが、保守層向けのアピールを盛んに行い保守を偽装しているのは、保守政党である自民党を追い落とすために、自らを保守の地位においた方が有利だからです。これはかつての党首、橋下徹が戦略的に行ってきたことですが、後から勘違い、あるいはなし崩し的に維新に参加した者の中には、橋下という人物が志向していた政治的方向性とそのために作られた維新という組織がどういう性格を持っているのかを理解できていない者がいます。
維新の会には、だから政策に展望や一貫性がなく、選挙で訴えるのは「身を切る改革」や「バラマキ」のような、思想信条とあまり関連性のない大衆迎合的な政策が中心になるのです。
支持を失ってでもこれだけは社会のためにやり遂げなくてはならない、というような政治信念に基づいた政策は維新にはありません。


このような政治を続けていれば、行き着く先は「破滅」です。


以前のエントリでは、地方政治はイデオロギーとは直接的に関係するものではないので、思想信条を超えて共同戦線を張る必要がある、というようなこと書いた(と記憶しています)。
しかし本エントリを書くうちに、少し考えが変わりました。
それは、「思想信条」を越えてでも市民のために守らなければならない最後の一線、政治において決して踏み外してはならない道義があるということです。


すでに崩壊寸前にまで追い込まれた大阪を救うためにも、今回の堺市長選挙は死守すべき砦です。


これだけの長文を最後までお読みいただいたすべての方々の『行動』に、最後の最後まで希望を託したいと思います。