野村ともあき【非公式】ブログ|前堺市議会議員

野村ともあきの非公式ブログです。前堺市議会議員 公式ブログは→https://note.com/nomuratomoaki/

政治に思想は必要なのだろうか

堺市議会議員の野村ともあきです。

公式ブログと位置づけているnoteの方に、先の衆院選で維新が躍進したことについて書かれたネット記事をキュレーションしました。

note.com

上記は、関心のある方々のために資料としてまとめたリンク集みたいなものなので、私の見解はほとんど記していません。なので、非公式ブログということにさせていただいているこちらに少し感じたことを雑記しておこうと思います。備忘録みたいなものなのでちゃんと考えをまとめて書いているわけではありません。現時点での“非”公式見解ということにさせてください。あと、文章も推敲していませんがご了承ください。

「維新の会」が右派左派保守革新から幅広く支持されているのは、維新という政党にイデオロギーがなく、全方位に向けて、右翼偽装、保守仕草、改革アピール、反体制風味、などを醸し出しているからだと思う。これは批判的な意味ではなく、現代の日本社会、あるいは現代の日本人の特性を見事に捉えたマーケティング本位(あるいは全振り)政党の面目躍如というべき成果である。

冷静に、今回の衆院選公約や下記の図を見れば、維新が思想的に保守政党でないことは明白である。https://assets.st-note.com/production/uploads/images/59577780/picture_pc_efb626e32d692a19e4e80eaf289e732e.png

では維新が革新なのかと言うと左派政党を執拗に攻撃するので、反共・反リベラルポジションで「左の反対なのだから右」みたいな位置に収まっていて、多くの人もそう捉えている。実際、今回の報道でも維新は海外メディアからは極右政党と報じられながら、実際は革新的な考えを持つ層からも少なくない支持を獲得していたことはデータが証明している。維新は、保守の仮面をかぶりながら革新を望む現状破壊願望に強く訴える、極めて幅の広い政党のポジションを獲得したと言えよう。 

漠然としたイメージで恐縮だが、お昼に何食べようか迷っている有権者がバイキングのように都合の良い部分をつまみ支持(つまみ食いみたいな感じ)できる感じで、今どきの回転寿司にハンバーグやパフェが回ってくるみたいなもんである。違うかも知れない。

ふと思えば、松井さんや吉村はんの口からイデオロギーゴリゴリのネトウヨ発言みたいなのはあまり聞いたことがない。というか思想信条に関する言動を目にした記憶がない。まあ、本来は首長という立場であんまり思想信条を前面に出すのは良くないからそれでいいと思うのだが、あの二人にはそれ以上に普段から党派性むき出しなのでその理屈は通用しない。

現代の日本、特にコミュニティが(良い意味で)雑多な大阪においてはその方がウケが良いのだろうし、実際に絶大に支持されている。

いくつかの記事で特徴的だったのは、維新はこれまでの既存政党が掲げてきた右・左の看板を使わず、「大阪代表」という看板を前面に打ち出すことに成功したという指摘である。これは間違いない。要するに「たこ焼き、吉本、タイガース」である。これほどまでにしっくりと維新の政党としての体(てい)を表した言葉はないと思う。松井はんが「それや!」と叫んで力強くビシィ!っと相手を指差す様が頭に浮かぶ。嫌になってくる。これを覆すのは、ほとんど地球を逆に回すとか淀川を逆流させるとかのレベルの話なので、不可能だろう。でも大和川は過去に未曾有の規模の付替え工事をやっているので、不可能ではないと信じてやっていこうと思う。いちいち例え話がヘタクソで申し訳ありません。

公式ブログ(note)の方で紹介した記事で、鮫島浩さんというジャーナリストが左右のイデオロギーから、しばらくは自公維立共れの6党による多党時代を経て、社会経済政策へと対立軸が移っていくだろうと述べておられた。自民党や立民が政策的に特徴を出せなければ、私もそうなると思う。完全に同意である。上記のマトリックスで言うと横軸(X軸、右と左)の対立から、縦軸(Y軸、上と下)の対立への移行は確実に進んでいる。

これは国レベルで議論されるべき日本の針路に関わる課題であるので、是非世論を喚起していきたい。

それから選挙戦術。もうこれは最初の住民投票(2015)の時から強く感じていたことで、大阪における選挙戦術は、多分根拠のない私の想像の範囲だが、他の地域に比べてはるかに高度でシビアな領域に達している。二度の住民投票やダブル選挙、衆参院選挙、その他各級選挙で、10年に渡り壮絶な戦いを繰り返してきたことで、大阪における選挙戦術は類を見ないほど洗練、高度化されてきた。そのことは私自身が肌身にしみて感じている。

この流れの中ではピラミッド型である維新の組織の方が圧倒的に適応力があったのは間違いない。各議員単位でバラバラに動く自民党や、各組織の横のつながりが脆弱な共産党は太刀打ちできず、大きく水を開けられているのが現状だ。それぞれの組織改革は急務である。絶えず戦術を磨くことも必要だろう。

とりあえず時間になったので、この辺でキーボードを閉じます。

繰り返しになりますが、これは非公式ブログですので、本件に関するご意見等は受け付けません。(お話は聞きます)

政治活動10周年くらいの誕生日に臨みまして

48歳の誕生日を迎えました。

SNS等ではたくさんのお祝いのメッセージをいただきありがとうございます。

まあ、これくらいの年齢になると誕生日だからといって何か特別なイベントがあるわけでもなく、普段と変わらない日常を過ごしております。

 

さて日々の生活は劇的に変わるものではありませんが、ふと顧みれば政治家活動も10周年を迎えたことに気づきました。正確に言うと2006年くらいから政治活動はやってましたが、「政治家」という定義はあいまいなため、議員に初当選した2011年(平成23年)を起点に考えると10周年になります。

10年という年月を振り返るとさすがに色んなことが思い出されて、なかなかの激動の10年だったな、と感じさせられます。

ただ、色んな変化によって私の人生もそれらに大きく影響されてきましたが、変わったのは周囲の環境や状況であって、私の政治信条や姿勢は変わっていません。

 

初めての立候補の時も、某日本維新幹事長から維新に誘われましたが、政治のことがわからない素人なりにも「維新政治」には違和感を感じておりまして丁重にお断りしました。

堺市政令指定都市に移行した時には地方自治に関心を持ち大学院で地方行政や都市計画について学びました。その影響もあって、その後提唱された「大阪都構想」が市民生活や行政サービスを大きく毀損するものであると感じ、一貫して反対をしてきました。

自民党を離党することになったのも、当時の大阪府連が「都構想賛成」に舵を切ろうとしたからです。タラレバの話に過ぎませんが、あそこで私が体を張らなかったら本当に大阪市がなくなっていたんじゃないかと感じます。これまで何度も主張してきましたが、政策・財政両面で行政に大きな負荷のかかる都構想は、本当に住民の生活、財産、生命を危険にさらします。忘れてはならないのは、その危機は今も継続しているということです。しかも状況が悪化した中で。

その後行われた二度目の住民投票は否決されましたが、その際に公明党が維新に屈服し、以降は目を疑うような変節ぶりと節操の無さを隠そうともしなくなりました。

さらに、この度の総選挙で維新が躍進し、維新以外の大阪選出衆議院議員は全敗してしまいました。

維新を阻む勢力はもはや風前の灯火なのは疑いようのない事実です。今の状況は、2012年の橋下ブームの時より厳しいと感じます。

正直に申し上げて、これを挽回する方法は今のところちょっと思いつきませんし、客観的に考えて、来年、再来年はさらに厳しさを増すだろうなという現実に暗澹たる気分にさせられます。ほんまどないしましょかね。

 

……と、ここまで書いて、誕生日にこんな暗いエントリを書いてしまうのは自分では意識してないけど精神的に下がってるんだな、とか逆に思わず笑ってしまいました。

まあ今必要なのは「臥薪嘗胆」の心構えだと思いますので、現実は現実として真正面から向き合い、一歩ずつ進んでいくしかありません(笑顔)。

浅学菲才、非力な身ではありますが、大阪や日本の政治が少しでも良い方向に向くように微力を尽くしてまいる所存です。

おまけ

さて、このままで締めるのも何なので笑、最後に簡単なメンタルトレーニングの方法について書いときます。何冊か参考書籍を読んで考案した自作のルーチンです。

  1. 顔を上げる(前を向く)
  2. 口元を上げる(強制的に笑顔を作る)
  3. 胸を張る
  4. 手のひらで胸をバシンと叩く
  5. 手のひらを顔の前に持ってくる
  6. 大きく深呼吸をする(鼻で吸って口で吐く)
  7. 吐く息を感じながら手のひらに視線を集中させる
  8. 一回深呼吸をするごとに少しずつ手のひらを挙げていく
  9. 数回繰り返したら手のひらをのける
  10. 「ポジティブな言葉」「決意」「感謝」などを声に出して言う

※瞬間的な時間しかない時は1~4だけでも効果がありますよ! 前を向いて行きましょう!

維新躍進の票はどこから来たのかの補足メモ #衆院選2021

noteの方に書いた衆院選の維新票についての考察について補足しておきます。
きちんと推敲して書く暇がなかったので、こちらの非公式ブログにポイントだけ挙げておきますので、各位で色々考えてみてください(他力本願ですみません)。

↓元記事

note.com

 

各選挙における自公維の得票数比較

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以下は、考察メモ

◎大阪の有権者について
大阪の有権者総数は730万票くらいなので、投票率50%だと365万票
投票率1%あたりは73,000票くらい
得票率1%あたりは3.5~4万票くらい

 

◎各政党の基礎票について
たまに増えたり減ったりするけど
自民の票はずっと75万票くらい
公明の票はずっと55万票くらい

維新の票はだいたい100万票~130万票だったんだけど、今回小選挙区で20万票、比例で30万票以上爆増した
※2017年維新の得票が低かったのは希望の党がいたから

 

◎今回の選挙について
自民・公明は小選挙区、比例ともに票を減らした
自民の票は多分、維新に10万くらい流れている
公明の票は多分、維新に流れていない
今回は投票率が最近の選挙よりは7~8%高かった、票換算で50万票は増えている。それらはほとんど維新に乗った
さらに維新は左派票からも得票率5%くらいは削っている感じ
れいわについても分析が必要な気がするけど時間がなくてやってない
今まで維新の票は固定化されていると見る意見があったが、今回は間違いなくひとつの壁を超えて、これまで選挙に行かなかったような無党派を「全部」取り込んだ。それが比例170万票。

 

間違い、誤認等ありましたら、ご指摘ください。

幻の政策公約

衆議院総選挙に臨み、某陣営の公約立案を担当させていただいたが、諸般の事情により、お蔵入りとなってしまった。

「諸般の事情」そのものについてはすでに別の段階に移っているので、特別な思いはない。しかしその準備期間、結構長期に渡って積み上げてきた政策だったので、この公約で選挙戦を戦えなかったのは正直忸怩たる思いがする。

往生際が悪いとは思うが、私の活動の備忘録、兼、証しとしてここにこっそり(でもないが)公開しておきたい。

もちろんこの公約は私一人で考えたものではなく、候補者の思いがまずあって、それを最大限に尊重したし、また多くの方々の知見と協働作業に助けていただいている。著作権があるわけではないと思うが、このままではただ捨て去られるだけのものなので、今後の活動の糧にでもなればという思いで公開しておく。

なお今回、テキストではなく画像にして公開したのはわざとである。黒塗り、モザイクは公開できない事情があるからである。

後出しじゃんけんで申し訳ないが、この公約はどの既存政党の公約よりも早く発表する用意ができていた。

今見比べると、多くの政党のそれと、自民党の公約ですら、重なる項目が多く、時代は確実に「リベラル」へ向かっているのを実感する。リベラルという単語を使うとまた特定方面のあらぬ誤解を招きそうではあるが、現状、私はこの政策方針に対して「リベラル」に代わる言葉を持ちあわせていないので表現のしようがない。

回顧するには少し早いが、政策の立案は本当に楽しい作業だった。財源や制度設計も割としっかりと考えて作成できたと思う。

少し落ち着いたら、もっと議論を深めながら、別の成果物として必ず世に問いたい。

 

選挙中ゆえに多忙を極めており、文章の推敲をする時間がありませんでした。

なぐり書きのようなエントリになってしまって申し訳ありません。

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第49回衆議院総選挙と比例代表を巡る一連の動きに関する思い

10月18日、衆院選の公示が明日に迫る中、大阪の政治関係者が密やかに結果を見つめていたひとつの重大な「政局」があった。衆議院議員比例代表選挙近畿ブロックの自由民主党の名簿当選順位である。

 

その名簿が確定し、渦中の人「柳本あきら」さんは「単独2位」となったようだ。
過去の例から見て、まず間違いなく落選することはない順位である。健闘をお祈りしたい。

 

これまでの経緯をご存じない方にごく簡単にご説明すると、「柳本あきら」さんは、自公のいわゆるバーター選挙区である大阪第3小選挙区(※正しい名称ではないがご容赦願いたい)に、「自民党離党も辞さず」の構えで立候補する動きを見せたことから、公明党の猛烈な反発と抵抗を招き、自民党本部を巻き込むほどの大騒動を巻き起こした。実際に伝え聞くところでは、総裁・幹事長レベルの案件だったようである。結局、10月8日に予定されていた出馬会見の当日になって「待った」がかかり、これまでの間、様々な噂と憶測が流れる中、本日比例上位で処遇する代わりに「矛」を収めることで落ち着いたようである。

 

「柳本あきら」さんと私は、境遇に色々と共通する部分がある。
議員としてのキャリアはあきらさんの方がだいぶ先輩だが、年齢(学年)は同じ。
堺市は後発政令市ではあるが、同じ政令市の議員として課題認識や問題意識を共有しつつ、大都市問題など様々な面で指導、助言をいただきながら、互いに切磋琢磨をしてきた。
自民党大阪府連ではともに青年局長という要職を預かり、新旧の青年局長として党の活動に汗を流した。

 

一生忘れることができないのはあきらさんの二度の大阪市長への挑戦である。特に二度目の市長選では、内定していた参議院候補予定者の肩書をかなぐり捨てて、市民のための戦いに身を投じる姿に心を打たれた。

 

人の運命とは数奇なもので、その2か月後、私自身が全く想定していなかった堺市長選挙に立候補することになるのだが、その時の私の「決断」は疑いようもなく先のあきらさんの行動に衝き動かされたものであった。

 

他人がなんと言おうと、私とあきらさんの「無謀な立候補」は利己的な動機からではなく、「市民のために戦わなければいけなかった」から挑んだ戦いであった。その思いは共有できていると、少なくとも私は信じている。

そしてそれは(自らは敗れはしたが)二度の大阪市廃止住民投票の否決に、少なくない影響を及ぼしたであろうということも自負している。

 

「だからこそ」

昨年の二度目の住民投票で生じた『政治の理不尽さ』を誰よりも強く感じていたのは、私と「柳本あきら」だと言って良いと思う。

 

時が経てば話せることもあると思うが、この一連の「政局」の中で目まぐるしい動きがあった。

まさに驚天動地の連続であった。

 

今後、日本や大阪の政局がどのように動いていくかはわからない。

しかし、今回の流れが長期的に見て良い方向に進むことを私は期待している。

 

もちろん、まずは目の前の衆議院選挙の結果である。

いよいよ明日から選挙戦がスタートする。

非力な立場ではあるが、自分のやれることにベストを尽くしていきたいと思う。

自民党総裁選を大きく左右する「派閥」とは何か、自民党派閥の源流

自民党の総裁選が白熱しています。

事実上、日本の総理大臣が選ばれることになる選挙ですので、自民党員以外の国民にとっても大きな関心事として捉えられているようです。

当初は河野太郎氏がリードしているとの報道もありましたが、ここに来て情勢が大きく変わったと伝えられています。

実際、今回の総裁選は異例の展開で結果が全く予想できません。その最大の要因となっているのが、国会議員票が固まっていないことです。

今回、異例の事態を招いているのは、自民党内に7ないし8ある「派閥」のほとんどが支持する候補を決めていません。現在は水面下で票の奪い合いが熾烈を極めているとのことで、結果は投票箱の蓋を開けるまでわからないでしょう。

 

さて、自民党総裁選を大きく左右する派閥とはどのようなものでしょうか。

 

派閥とは、表面的には政策や考え方が一致する者同士のグループということになりますが、実際は資金集めやポストを獲得するための力の源泉となる装置です。その力学が最も大きく影響するのが総裁選における票=派閥の人数で、長らく日本の政権にある自民党にとって、その党の歴史はまさに派閥によるパワーゲームの歴史でした。

 

自民党派閥の源流は、自民党が結党された1955年にまでさかのぼります。
まだ戦前戦中の影響が色濃く残るこの時期、日本自由党日本民主党という二つの保守政党の合同により自由民主党は結成されました。しかしこの日本自由党日本民主党は、考え方や政治姿勢において大きく異なる政党だったのです。

日本自由党を率いたのは吉田茂、現在の麻生太郎副総理の母方の祖父にあたる人物です。一方の日本民主党で中心的な役割を担ったのは岸信介、こちらは安倍晋三前首相の母方の祖父にあたります。自由、民主それぞれの政党の政治的志向性は、吉田と岸という二人の政治家の思想信条に深く根ざしたものでした。

 

それを知るために二人の生い立ちを簡単に紐解きましょう。

 

吉田茂は貿易商家の生まれで幼少より英米の文化に触れて育ったと言います。官僚となってからも親英米の考えに寄り、対米開戦に突き進む軍部と対立したりしていました。そしてそれが遠因となって戦時中に軍部によって逮捕されます。しかしそのことが戦後、進駐した米軍から信任を得る結果となり、戦後政府の首相を務めるにまで至りました。
吉田は、戦後の荒廃した日本で国民生活の建て直しを第一に掲げました。軍備や物資を米軍に頼ることで迅速な復興を成し遂げ、その後の奇跡的な日本の経済成長を実現します。経済優先、欧米協調、国内重視という戦後日本の大きな方向性は吉田茂によって定められたと言えます。

 

岸信介は、長州の時代から日本の政治に大きな影響を与えてきた山口県田布施町という町で生まれ育ちました。若い頃より群を抜く秀才で東京帝大を卒業後、農商務省の官僚となります。官僚としても頭角を表し、戦前の満州国に赴任し、経済政策の事実上の最高責任者として辣腕を振るいました。その実績が評価され、帰国後、官僚として東条英機内閣の商工大臣に任命されます。しかし閣僚として開戦の詔勅に署名したことが原因で、終戦後、A級戦犯被疑者として投獄されました。処刑寸前のところで釈放された岸は、公職追放解除後に政界に挑み、初当選からわずか4年で首相にまで上り詰めます。

帝国政府の閣僚だった岸は反米の意識が強く、憲法や安全保障条約についても米国からの押し付けであると捉えていました。その後の岸自身が押し進めた安保改定や改憲の動きは、結党された自由民主党にも受け継がれ、経済、軍備、国民思想にまで至る「自主自立の実現」は自民党の大きな精神的支柱となりました。

ところで岸は、若い頃に北一輝の「国家社会主義思想」に大きな影響を受けており、経済政策的には社会主義的な計画経済を理想としていました。実際に満州国においても計画経済による運営に成功していましたし、最初の選挙では社会党右派からの立候補を模索していたと言います。この点においても自由経済を旨とする吉田の対極にある政治家でした。

 

このように、生まれも経歴も思想的にも政策的にも対象的な二人の政治家のイデオロギーが合わさることによって自民党は生まれました。そしてこの二つの大きな流れは、今でも自民党内に隠然として存在しています。

本稿に先行する研究には様々なものがありますが、吉田の系譜は「保守本流」「豊かさ路線」、岸の系譜は「自民党本流」「自立路線」などと呼ばれているようです。

 

さて、これらを簡単に示したのが次の図です。

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これを見ればわかるように、2000年まではかなり多くの時代で吉田茂の系譜が政権を担ってきました。民主党の流れに連なる派閥でも、石橋、三木、河野一郎は、岸とは民主党合流の経緯も政治的スタンスもかなり異なります。

しかし、2000年以降は麻生政権を除いてずっと岸派の影響を受けた総裁が政権を担っています。そして別稿で述べたように、小選挙区制のせいで対立派閥が存在感を発揮できない状況が続いているのです。

 

いかがでしょうか。戦後の日本の政治の流れと符合するところが感じられませんか?

 

お断りしておきますが、この二つの方向性はどちらが良い悪いというものではありませんし、排他的に二者択一を迫るものでもありません。当然のことながらすべての政治家がこの二つにきれいに分類できるわけもありません。

ただ、これまで二大政党のように絶妙なバランスを取りながら日本の政治を担ってきた自民党の派閥組織が行き詰まりを見せていることは事実であり、改革が求められます。総裁選がきっかけとなり党内の改革が進むことを、いち国民として期待します。

 

以上をお示しした上で、最後に今回の総裁選挙の候補者のプロフィールを簡単に説明しておきます。

自民党の派閥にはこのような大きなバックボーンがあるということを知っていただければ、各候補者の政策や主張も見え方が変わるのではないでしょうか。

 

  • 河野太郎氏は、河野洋平自民党総裁の子息で、父は民主党による2009年の政権交代時の谷垣総裁までは「総理になれなかった唯一の自民党総裁」と言われた不遇の政治家でした。父が領袖を務めた大勇会を前身とする志公会(しこうかい・麻生派)に所属していますが、麻生派は派閥として河野氏を支持せず自主投票としています。石破派が支持を表明しています。
    自身はワクチン担当の行革大臣として国民のワクチン接種事業で一定の成果を上げました。
  • 岸田文雄氏は、宏池会(こうちかい・岸田派)の会長です。宏池会日本自由党の流れをくむ「保守本流」の歴史ある名門派閥です。総裁選所見においても「新自由主義の否定」を明確に打ち出すなど、これまでの政治からの路線変更を掲げています。小渕内閣まで総裁を多く輩出し続け、日本の高度成長期の政権を担いました。自身の派閥による支持のほか、細田派の一部も支持を表明しています。
  • 高市早苗氏は、無派閥ですが、安倍晋三前首相(清和政策研究会細田派)が支持を表明しています。岸信介アイデンティティにまでさかのぼる自主独立、反共姿勢、改憲、経済の拡大成長主義などの方針を強く打ち出し、強硬な保守層からの支持を集めています。
    清和研は森内閣以降、小泉、安倍、福田総裁を輩出し、2000年代以降の日本の政治を中心的に担ってきました。その路線を継承すると思われます。
  • 野田聖子氏は、無派閥です。社会的多様性の尊重と、女性や子ども、弱者のための政策を前面に掲げているのが特徴です。他派閥からの明確な支持の表明はありませんが、他の候補者にはない姿勢を示すことで広い支持を訴えています。

 

参考文献:
吉田茂岸信介」安井浩一郎・NHKスペシャル取材班著 岩波書店
自民党本流と保守本流田中秀征著 講談社
「政界名門一族の査定表」八幡和郎著 宝島社
自民党派閥興亡史」土屋繁著 花伝社
自民党 「一強」の実像」中北浩爾著 中公新書

私はなぜ「日本のための新たな道しるべ」を構想するに至ったか

noteの方に公開した「なぜ私たちは政治に「もやもや」するのか」はおかげさまで多くの反響をいただきました。

note.com

中には「これを待ってた!」という賛同のお声もいただき感謝感激しております。

やはり多くの方が今の政治にしっくり来ない感覚をお持ちだと強く感じました。

 

あの主張を構成する各課題認識は特段新しいものではなく、ネット論壇を中心に以前から議論されてきたものですが、思想論、財政学、経済政策、経済学などなど切り口が様々で議論が交錯しているので、どうにかして問題を一本化して発信できないかと考えたのがきっかけでした。

 

手元の原稿用メモを見ると一番最初に直接的な着想を得たのは2019年で、私が市長選挙に落ちた直後に行われた参議院選挙でれいわ新撰組が躍進していた頃でした。ただ、山本太郎氏がれいわ新選組を立ち上げる前から政策的には「レフト3.0」運動などが盛り上がっているのを、松尾匡氏の著作などで知りました。左派の運動ではありましたが内容的には非常に納得のいくもので共感しておりました。

 

同時に私は、非常に過激な「反共保守」(要するにネトウヨや反中嫌韓のヘイト系右翼)の言動にアレルギーがあったので、「保守」の定義に思案していた時期でもありました。
また大阪で大きな支持を得ている維新が保守政党でないことも、一度わかりやすく書いておく必要があると考えておりました。(やはり今回も「維新が左って○○かこいつは」というお叱りの声を頂戴しています。伝えきれずに申し訳ございません)

 

もっと言えば、そのような考えに至る源流には、小泉構造改革への疑問や民主党政権交代と瓦解、大阪で繰り広げられた橋下や小池の首長ポピュリズム、安倍菅政権における政治腐敗などの影響もあったと思います。これらの日本の政治への反動から一時期「保守の再定義」ブームのようなものもあり、中野剛志氏や適菜収氏、宇野重規氏の著作からは少なくない影響を受けましたし、今でも各著作を読み直しながら思考を修正しています。

 

そんな中、色々と調べてる中で出会った田中秀征氏の「自民党本流と保守本流」という著作からは大きな感銘を受けました。戦後の政治の流れをその政治中枢の内側から克明に描くとともに、自民党がいかにして新自由主義に傾倒していったかが極めて明快に著されています。そして自民党が元の二つのグループに分かれることでしか保守の再生はできないと述べられています。
すでに自民党を離党した身であった私でしたが、今後の道筋が見えたような気がいたしました。まさしく「道しるべ」です。

 

活動の方向性が見えたところで政策の立案が必要でした。そこで上記の時期と前後して目にしたのが、論壇誌表現者クライテリオン」の2019年5月号『令和への建白書』でした。
主筆藤井聡先生にはコロナに関して毀誉褒貶ありますが、この号の提言は間違いなく出色の内容でした。
見る人が見れば気づくと思いますし別に隠すつもりはないので言うと、「政策大綱7つの道しるべ」は思想的にも政策的にもこの提言から大きな影響を受けていますし、引用もさせていただいております。

 

そうして約2年近く加筆し推敲を重ねた内容が、この度公開させていただいた設立趣旨と政策大綱です。

公開後、真っ先にいただいた感想は「野村くん、長いよ」というものでした。二本あわせて1万字くらいあるので仕方がありませんが、これでも多分3分の1くらいに削っていますのでもうこれ以上短くするのは無理です笑

今後は図解や動画なども活用しながら、わかりやすく「日本のための新たな道しるべ」へのご賛同を広めていきたいと考えています。

引き続きのご支援、またご意見等たまわりますようお願い申し上げます。

 

……という感じで、前のエントリに書いたとおり、こちらのはてなブログの方では少し肩の力を抜いた感じのエッセイやゆるいネタを中心に綴って行きたいと考えております。
カチっとした文章はnoteの方に書きます。
よろしくお願いします。