野村ともあき【非公式】ブログ|前堺市議会議員

野村ともあきの非公式ブログです。前堺市議会議員 公式ブログは→https://note.com/nomuratomoaki/

保守派のための「反カジノ」論(その1)事業上の課題について

大阪で誘致が進む「カジノを含む統合型リゾート施設」(以下、カジノ・IR)の関連議案が大阪府議会、大阪市会に上程され、審議が続いている。

3月14日現在、審議は山場を迎えており、今月末の本会議で議案が可決されると、大阪へのカジノ・IRの整備が事実上「確定」する。

その後は、議会、住民らの関与はほとんどできないまま、2029年末(予定)の開業まで一気に進む公算が高い。

 

2029年のカジノ計画がまさか今年に決まるとは知らない方も大勢いるようで、説明すると驚かれることが多い。また、あくまで大阪市内の話だと思われているのか、大阪市以外の住民の方の関心は著しく低い印象を受ける。

 

結論から言うとこのカジノ整備計画は、事業的にも、政策的にも、防災の観点からも、倫理的な側面からもかなりマズイことになっていて、「絶対にやったらアカンレベル」の内容である。

 

しかしながら、大阪府・市の議会構成的に、この流れを止めるのは難しそうだ。
大阪府市の議会で過半数を占める維新と公明党会派はカジノ・IRの推進派である。
自民党は府市両議会と会派内で賛否両論見られるが、国政で自党が進めてきた政策だけに正面切って反対しづらいジレンマがあるようだ。
現状、カジノを強く批判しているのはリベラル・左派陣営のみであり、議決が目前に迫る中、彼らの反対運動は熱を帯びている。

 

このような背景があるためか、「カジノを推進しているのは保守派で、反対しているのは左派」という漠然としたイメージが世間に浸透している。
安倍・菅政権の影響も少なくないだろう。

 

(安倍・菅・維新が保守なのかという議論はさておき)私が別稿で繰り返し書いてきた通り、「経済的な政策志向」と「思想信条」は直接的にイコールで結ばれるものではない。
むしろ「カジノ推進」は誰がどう見ても「保守主義」に根ざした政策ではないと断言できる。

 

理由は一言で済む。

大阪のカジノは「日本人の不幸の上に成り立つ事業」だからだ。

 

現状、大阪で進められているカジノ政策は、『外国人(というか中国人)を日本にどんどん呼び込むことを目指して、外資を含むカジノ企業に土地を最大65年間格安で提供し、ついでに土地の改良費名目で790億円もの公金をくれてやり、電車もインフラも敷いてやり、「博打」の上前で成長を目指す』というものである。

 

絵に描いたような「売国政策」である。

 

これだけでも地獄絵図の様相だが、現在の「カジノ計画」はさらに内容が悪化していて、あろうことか日本人を食いものにしようとする方針に大きく舵が切られているのである。

 

先般、事業者が提示した計画は、当初「外国人2200億円:日本人1600億円」だった収益の想定を「外国人2200億円:日本人2700億円」に変更した。また来場者想定は外国人629万人に対し日本人が1358万人と、完全に日本人をターゲットにした内容へと変更されている。

さらに日本人等国内在住者のみが支払う6000円の入場料収入(国と折半のため都道府県等に入るのは3000円)は、当初130億円だったものが、計画では320億円と約2.5倍に修正された。

事業者は株主向けの説明会で「客は全員日本人、日本人だけでどれだけ回るか、その前提でプランニングを作っている」と述べたという。

 

百万歩譲って、外貨を獲得できるのであれば、経済成長に資する側面もあったかもしれない。しかし今の計画は、外国企業を含んだカジノ業者が日本人から「賭博」で金を巻き上げる事業モデルとなっているのである。

 

「保守」を自認する政治家の皆さん方は、この構図を見てどう感じたか、是非教えていただきたいと思う。

 

事業計画にはカジノの凄まじい売上目標も記されている。
カジノ側の粗利は4900億円、粗利から試算した賭け金の総額は7兆円、来場者2000万人(すべて年間)。にわかには信じ難い数字だが、これだけの人と金が大阪湾の孤島のカジノ一か所に飲み込まれるのである。飲食、物販、宿泊、娯楽消費など、間接的な支出まで含めれば、額はもっと膨れ上がるだろう。
キタやミナミなどの市内経済は大ダメージを受けることは間違いない。

 

地域経済は、衣食住など生活に身近な製品やサービスを、その地域の人が提供し、地域の人が消費することで成り立っている。「経済を回す」というのはそういうことだ。
しかしカジノはこの循環を断ち切り、対価のない賭博行為で人々の日々の稼ぎをかすめ取る。
依存症や借金、生活の破綻、治安の悪化など二次的な負のコストも膨大なものとなるだろう。これは、ギャンブルにハマった個人の「自己責任」や「自業自得」で済む話ではない。そのツケはじわじわと大阪経済を痛めつけ、そこに住む私たちの生活を蝕んでいくこととなる。

 

まさに「亡国の政策」である。

 

どんな理由があれば、このような政策に賛同し、推進することができるのだろうか。

 

さて、この悪夢のような政策に大阪市はすでに2000億円近くを突っ込んでいる。しかもこれは実際に計上された予算支出のみの額である。間接的なコストや本来負担する必要のなかったコスト、これから確実に必要となる関連コストなどを積み上げると、恐らくこの数倍では収まらない額になるのは間違いない。

 

例えば、すでに夢洲のIR以外のエリアの土地改良には1580億円がかかると試算されているほか、夢洲が廃棄物処分場として使用できなくなることで生じる代替地のためのコストや、ギャンブル依存症の対策費、治安悪化に備えて警察官を増員するための経費なども確実に必要とされている。

また、現在すでに着手済みの万博会場の整備や、地盤改良、渋滞解消、災害対策などの経費も青天井で膨れ上がっていくことになるだろう。

 

これに対して、松井一郎市長は毎年550億円のカジノのアガリ(納付金)があることを理由に財政支出を正当化している。

しかしこの額は、カジノ事業者が自ら出してきた売上目標から算出したものでいわば「お手盛り」の数字である。

 

非常に細かくなるので詳細は別稿に譲るが、本当にこの数字を達成しようとすれば、年間7兆円の賭け金が必要であり、365日24時間カジノを満席状態で回す必要があり、来日した外国人旅行者には平均的に買い物や娯楽に費やす以上の額をすべてカジノで擦ってもらわなければならない。

 

無理である。

 

ついでに、賭け金7兆円、粗利益4900億円、入場者2000万人という数字がどれくらいの水準か列挙しておく。

  • 観光庁の統計によると、来訪者数が過去最高を記録した2019年の外国人旅行者が国内で消費した金額の合計は4兆8135億円であった。
  • 中央競馬の売上は3兆円、競艇は2兆円、パチンコ業界の売上は日本全体で15兆円である。
  • MGMが世界で運営する29のカジノ総売上(賭け金合計)は14兆円である。
  • シンガポールのど真ん中にある「マリーナ・ベイ・サンズ」のカジノの粗利益は2400億円、ユニバーサル・スタジオ・シンガポールがある「リゾート・ワールド・セントーサ」のそれは1300億円である。
  • ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの2018年の来場者は年間1430万人だった。

以上の数字を見てどう感じられただろうか。どうか冷静に比較していただきたい。

 

このような荒唐無稽としか言いようのない数字を並べ立てて、それを根拠に莫大な血税を支出する。事業者もそれに加担する行政もやってることは詐欺に近い。

カジノ・IRの事業主体である「大阪IR株式会社」に出資する少数株主、融資を担当する金融機関は、日本を代表する名だたる企業ばかりだが、この「社会的倫理」から大きく逸脱した事業の片棒を担ぐことに疑問や抵抗感はないのだろうか。

 

なお「大阪・夢洲地区特定複合観光施設区域の整備に関する計画(案)」は下記で公表されている。

大阪府/大阪・夢洲地区特定複合観光施設区域の整備に関する計画

 

以上、今回は「事業モデル」を中心に大阪カジノ・IRの課題について解説した。

次回は、会場となる「夢洲」の地勢的リスクについてお示したいと思う。

 

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(追記)本記事は近日中に公開される予定の別サイトに寄稿した記事を元にしています。重複する部分は多々ありますが、当該記事ではより詳細に課題検証を行っておりますので、公開されましたらあわせてご覧いただければと存じます。

【 エッセイ】本に線を引きながら読むことの意義について

最近は電子書籍を買うことも多くなりましたが、まだまだ紙の本を読むことのほうが圧倒的に多いです。

本は好きなのですが、読む時間の方がなかなか取れず、どうしても読む本を取捨選択することになります。結果、ほとんどが仕事に関係する本ばかりになってしまいます。自分としては仕事の本でも楽しいので、別に気にしてませんが、たまに思う存分、小説やエッセイなどを読みたいなあと思うことがあります。

ところで仕事や業務に関する本は、書かれていることをしっかりと身につけないと意味がないのですが、なかなか書かれていることを覚えられません。ウチの小中学生の子どもなんかを見ていると、さらに頭の働きが鈍くなってきたことを実感させられます(苦笑。10代と比べてもしょうがないですが)

記憶力の低下については以前から割と深刻にどうしたものかと思案をしておりましたが、ある時(と言ってもずいぶん前のことですが)ネットで「本に線(アンダーライン)を引きながら読む」方法について書かれた文章を偶然見かけました。内容は「三色ボールペンを使って色分けしよう」みたいな趣旨のやつで、具体的な「線引き術」みたいな部分にはあまり興味を惹かれませんでしたが、「線を引く」という行為の「効果」の部分についてはなんとなく関心を惹かれ、いっぺんやってみようかという気になりました。

後に色々調べて再認識させられましたが、世の中の読書家や勉強家とされる方々の多くが本に線を引きながら読むことを薦めています。
線を引きながら、あるいは書き込みをしながら本を読むことは、読んでいる最中に脳が刺激されますし、線を引いた部分は記憶や印象に残りやすく、後から見直すことも容易であるなど、非常に大きなメリットがあります。

もともと私は割と「気にしぃ」な気質(たち)で、本はきれいなまま保存しておかなければならない、みたいなヘンな固定観念がありました。もちろん本屋で売られている売り物の書籍や図書館の本などは丁寧に扱わないとダメですが、自分の蔵書に対しても帯までちゃんとかけたままブックカバーを付けて読むみたいな感じの扱いをしていました。正直、「不要になったら古本で売るかもしれないので“リセールバリュー”を維持しとこう」という料簡もありました。もちろん線が引かれた本など買い取ってもらえません。

しかし、ここで冷静に思い返してみると、私が古本屋さんに古本を売ったのは最近「二十年間」で2回くらいだと気が付きました。買取金額は忘れましたが、ずいぶん安くてがっかりした覚えがあります。恐らく1冊数百円~数十円程度だったことでしょう。値段がつかなかった本もありました。半日ほどかけて、結構な量をダンボールに詰めて車で運び込んだと思いますが、冷静に考えて労力に見合う対価ではありませんでした。

そもそも高く買い取ってくれるであろう、新しい本、良い本であればあるほど、逆に手放す確率は低いです。
20年間で数千円程度の金銭を得ることと、線を引くことで身につく(かもしれない)知識を捨て去ることのデメリットをよくよく比較するべきだと考えるようになりました。本にしっかりと線を引いて読み込み、知識を自らの血肉とし、さらにそのアウトプットで得られる価値(バリュー)は、20年間で数千円~数万円程度の金銭と釣り合うものだろうか? と考えました。

私たちは何のために「本」を読むのでしょうか。(少なくとも「仕事本」の場合は)知識を得るために読みます。
一方、「本」は何のために書かれているのでしょうか。おそらく、知識を文章として残し社会全体の財産としてすべての人々と共有するためです。
私は本から得た先人の知識を自らの行動に映して社会に役立てるために読書をしています。本は、そのための道具であり、消耗されるものであると考えるようにしました。
勝手な想像ですが、著者の方もきれいに本が読まれるより書いたことが世の中に役に立つ方が本望だろうと思いました。(古本で売買されても著者には一円も対価が渡りません)

線を引くと、誰かにその本を貸す時気になる? いやいや、そんなことそれこそ年に何度もありません。もし人に薦めるほど良い本なら、借りるより買った方が良いはずです。どうしてもその人に読んで欲しいけど、自分の手元の本が汚れているというなら、新品を一冊買って献本するくらいでも良いと思います。

きれいなままで本棚に置いておきたい? これはわからなくもないです。なので、外から眺める用にカバーと帯くらいは別に保管しておいてもいいかもしれません。しかし、汚れたり傷んだ本にも別の趣きや愛着は生まれると思います。むしろ買ってきた直後に帯は捨ててしまうほうが、しっかり読み込むぞという気になって良いかも知れません。

線を引くことに定まった技法やノウハウはないと思います。我流で、自分の好きなように線を引き、好きなことを書き込めば良いと思います。線を引き続けていれば、そのうち、自分なりの方法が定まってくると思います。失敗しても、的外れでも気にしません。おそらくほとんどの確率で、その本は自分しか開かないし、その線は自分しか目にしません。

ここまで読んで、もしあなたが「これからは本に線を引こう」と思ったら、とりあえず本棚からお気に入りの本を一冊選んで、「まえがき」に意味もなく思い切ってガーッと線を引いてみてください。別に大きな花マルを描くとかでも良いと思います。これで書き込むことに抵抗がなくなるはずです。

もしかしたら「線引き読書」を始めた直後は、「ああ、あの素晴らしい何十冊もの本たちも線を引きながら読んでおけばよかった」と、少しだけ後悔するかもしれません笑

春の訪れを感じる季節となりました。皆様、良い読書を。

貝塚市長選挙へのご支援、ありがとうございました

私が応援する田中がくさんが立候補した貝塚市長選挙は無念な結果に終わりました。
この間ご支援いただいた皆様に感謝申し上げます。
 
現地に応援に駆けつけてくださった方々は、本当に皆、声を枯らして、足を棒に、鋼の心で、戦ってくださいました。ご奮闘に心からの敬意を表します。
 
しかしながら結果は、11,100票 対 15,002票。「完敗」です。
 
今回の選挙では、素晴らしい候補者と認める田中がく候補自身が「これ以上ないくらい力を出し切って戦った」と言い切るほど全力で戦えました。選挙の定石と言われる戦術はすべて限界までやり切ったという実感もあります。
 
対して相手候補からは貝塚市に対する思いも感じられず、政策らしい政策も言わず、ビラにも書かず、演説会も行わず、インターネットの維新の公式サイトには顔写真すらありません。
 
ここまで内容に差のある選挙を展開してこの結果です。もちろん民意は真摯に受け止めますが、しかしもはや私が認知し得る領域の外に、大阪の有権者の政治判断はあるのでしょう。
 
これからの社会全体に対する幾ばくかの不安はあるものの、今回の結果に対する悔しさは(個人的には)ほとんどありません。これは負け惜しみでもなんでもなく、今回の結果を努めて客観的に受け止めて感じる率直な印象です。
 
誤解なきよう申し上げますが、今回の選挙結果は大阪にとって非常に重いものであり、どうにかしなければならないという強い思いはあります。この状況のままで良いとも微塵も思っていません。それを解決する具体的な方法論は今後時間をかけて考えていきたいと思います。
 
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今回、強い決意で維新に対峙してくださった田中がく候補には、最大級の敬意を表したいと思います。
とにかくまずはお疲れさまでした。引き続き力を合わせてがんばってまいりましょう。拝

貝塚市長選挙に寄せて、田中がく候補応援の弁

貝塚市長選挙もいよいよ最終盤となりました。

田中がく候補は連日自転車で市内を回り、77項目の政策公約「貝塚市民の大挑戦」を訴えています。

以前にもお伝えしましたが、この政策公約は、田中がく候補が議員としての経験に基づき、どうすれば市民の生活が豊かになり貝塚市が発展するかを、課題、制度設計、財源などをイチから考え、時間をかけて丁寧に立案したものです。

しかし残念なことに、相手の維新陣営からはこの政策やビラの内容が「デマである」というネガキャンを受けております。

真実を指摘すると、「相手の言ってることはデマだ」で返される。住民投票堺市長選挙で何度も繰り返されてきた光景で、心底うんざりさせられます。

維新の根も葉もないネガキャン選挙はいつものことですし、相手の口に戸は建てられませんが、市長選挙という大事な選挙で政策議論が深まらないのは残念に思います。

政策議論が深まっていないことには、貝塚市有権者の皆さんも不満を感じておられるようで、街頭では相手候補の「顔が見えない、声も聞こえない、候補者が貝塚市をどうしたいと思っているのかわからない」という意見を何度も耳にしました。

実際、相手候補にはホームページもなく、SNSアカウントもなく(※選挙に入ってからTwitterは始めたそうです)、事務所の電話もつながらず、チラシもコピペか使い回しのようなふわっとした内容で中身がありません。市民の代表である市長を決める選挙の候補者がこれで良いのかと、疑問を感じさせられます。

 

一方で相手候補や陣営から聞こえてくるのは「貝塚市がいかにダメか」という悪口です。「10年間何も変わっていない」「人口が減って衰退している」「貝塚市は忌み嫌われている」というような主張を街頭で何度も耳にし、なんとも言えない悲しい気分にさせられました。
維新の候補者が自分たちの町を悪く言うのもいつものことですが、なぜ支持されるのか本当に不思議です。

ちなみに、貝塚市の人口が減っているのは老朽化した府営団地の更新のために居募集が制限されていることと、市内にあった関空職員の官舎への入居が減っていることが主な原因です。貝塚市の統計上の人口減より、これらの公営住宅の住民の減少の方が多いので、単純に人口が減っているとは言えません。これこそデマのような主張で、ベースとなる課題認識が誤っているのですから政策議論が深まるはずがありません。

こちらの政策に対する反論も「中身がない」「バラマキだ」というようなレッテル貼りが主で、維新がいつも言う「対案」が示されることはありません。冒頭に言った通り、これらの政策は財源についてもしっかりと考えて立案されていることは、田中がく候補の説明を聞いていればよくわかります。

水道料金の値下げには水道事業会計の剰余金がありますし、市役所庁舎の建て替えは大部分が国庫補助です。府から購入した公有地への企業誘致によって市民サービスの増加分を補えるだけの税収増も見込まれています。プレミアム商品券や子育て支援施策についても、すでに実施されている事業の予算と利用対象人口からどれくらいの財源が必要か試算されており、現在の貝塚市の財政状況であれば十分実現可能な内容です。

 

南海本線貝塚駅周辺の連続立体事業についても、田中がく候補は議員時代から熱心に国に陳情を続けてきました。相手陣営からは府との連携において事業の実現が難しいというような批判がなされていますが、私は堺市であった似たような政策実現のプロセスを思い出します。

堺市では長らく堺市中区に「中堺警察署新設」の要望がありました。この要望に関しては地元の岡下昌平前衆議院議員自民党)が熱心に取り組んでいました。警察に関することですから所管は大阪府です。しかし度重なる地域住民の要望にも関わらず、大阪府からは国に予算要望が上がっていなかったのです。そこで岡下前代議士が河野太郎さんや武田良太さんなど歴代の国家公安委員長に直接要望し、昨年の令和3年に開署を実現したということがありました。

このように府が動かなければ、直接国に要望し、政策を実現できるパイプがあるのが与党・自民党の政治家の大きな強みであることは間違いありません。

ご存知の方もたくさんおられると思いますが、田中がく候補は国・政府に対して非常に太いパイプをお持ちです。私自身、田中がく候補が議員時代に多くの難しい陳情や要望を国に直接働きかけることで実現にこぎつけたことを何度も目の当たりにしてきました。

閑話休題南海本線の連立事業に関しても必ず早期に道筋をつけるであろうと、私は強く信じております。

 

田中がく候補は77項目の政策一つひとつについて本当によく考えていますし、公約全体として整合性もあり、様々な相乗効果も期待できる、掛け値なしに素晴らしい公約であると、私は評価しています。

 

身を切る改革についての批判も的を射ています。市長給与の20%減額が貝塚市の一般会計予算に占める割合は0.006%程度に過ぎず財政に与える影響は皆無です。

そんなことより、発言に影響力のある市長という立場の人間が「身を切ります、緊縮します、市民サービスカットします、財政難です」などと一生懸命発信するほうがよっぽど景気に悪い影響を与えるでしょう。そんな自治体には企業も進出してきませんし、住みたいと思う人もいません。

ましてやコロナによる景気後退の真っ只中です。こんな経済状況下で公共部門が財政を切り詰めれば景気はますます悪化します。

身を切る改革は、民間と公共と市民の間で循環する経済の流れを分断する愚策中の愚策であることに有権者は気づくべきです。

田中がく候補は「身を切る改革より実のある改革」を掲げています。それはインフラや都市基盤整備などのまちづくりを行い、経済活動を支援し、市民サービスを向上させるという正の循環を促すものです。

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現・藤原龍男市長のもとでもこの好循環は貝塚市の発展と市民サービスの向上につながってきました。それは83%という高い市民満足度にも表れています。

この流れを断ち切ることなく、田中がく候補がしっかりとバトンを受け継ぎ、貝塚市の舵取りを担うことこそが、貝塚市民のしあわせを実現することにつながるものであると、私は確信しております。

 

貝塚市民の皆様、1月30日の市長選挙では田中がく候補に「しあわせ実現のための一票」を、どうかよろしくお願いいたします。

明日1/23、貝塚市長選挙が告示されます

堺市議会議員の野村ともあきです。

明日1月23日に市長選挙の告示を迎える貝塚市に、応援に行っております(1月30日 日曜日 投開票)。

前回のエントリにも書きましたが、この貝塚市長選挙には、大変にお世話になった貝塚市議会議員の田中がくさんが立候補を表明したと報道されています。

貝塚市長選 田中市議が立候補表明 /大阪(※有料記事)

mainichi.jp

田中がくさんの公式ウェブサイトには、7分野77項目にわたる政策が公開されていますが、貝塚市のことを本当によく理解し、貝塚市民のことを心から思っていることが伝わる素晴らしい政策だと感じさせられます。

www.tanaka-gaku.com

 

77項目の政策全文のPDFはこちらから

https://tanaka-gaku.com/wp-content/uploads/2022/01/tanakagaku_manifesto_distribution210108.pdf

各政策について田中がくさんを話すことがありましたが、すべての項目について立て板に水のように現状、課題、解決方法、財源などをスラスラと説明してくださるので、大変驚かされました。

その過程で、貝塚市の持つ地域としての魅力や、自治体としてのポテンシャルを知り、同じ泉州地域の自治体に住む人間として、愛着のようなものを感じさせられました。

また、維新が主張する「身を切る改革」がいかに地域経済にとってマイナスであるかについて、大変説得力のある説明をされ、市民の身を切る改革ではなく、自分は「実のある改革」を進めたいとおっしゃっていたことに感銘を受けました。

田中がくさんのような人物がトップであれば貝塚市民はさぞしあわせだろうと素直に思わされた次第です。

明日からも微力ながらお手伝いをさせていただこうと思っております。

貝塚市民の大挑戦」が大きな実を結ぶことを期待しております。

貝塚市長選挙と田中がくという政治家について

田中がく貝塚市議会議員が1月23日に告示される貝塚市長選挙に立候補する予定であることが報道されました。

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田中がくさんは、私にとってのかけがえのない友人であり、偉大な先輩であり、心からの恩人です。今の私があるのは田中がくさんのおかげであると言って間違いありません。恐らく、私の政治家人生の中で、最も多くの時間を共に過ごしてきたのが田中がくさんです。

昨年末、がくさんから「ある覚悟」を聞かされた際、私はすべてを置いて、がくさんを応援するとその場で答えました。それ以降、私の微力を尽くしてがくさんを支えてきました。

政治家が大きな決断をする際、その思いは一言では語れません。思いも、理由も、境遇も、様々な要素が複雑に絡む中、最後は自分自身の「志」がすべてを決めるのだと思います。

がくさんは裏表のない人間です。ゆえに毀誉褒貶ありますが、極めて実直で真っ直ぐな人物です。
がくさんは、臭いものにふたをしたり、石を珠だと言ったり、権力に阿ることがありません。実際、私は自分自身の目で、がくさんが歴代の自民党総理総裁や政界の重鎮に、ある意味「厳しく耳の痛い正論」を真正面からぶつける様を何度も見てきました。

一方で、大言壮語だけでなく凄まじく仕事ができる人物です。がくさんが議員として貝塚市にもたらした実績と恩恵は計り知れないものがあるでしょう。
このような人が大きな組織の舵取りを担うことで、一体どんなことが起きるのか。想像がつきませんが、それはきっと、わくわくドキドキするような壮大なチャレンジだと感じます。子どものような表現で恐縮ですが、まさしく「少年漫画」のような世界だと私は感じています。

戦いは、これから激しさを増して行くでしょう。もとより厳しく辛い戦いです。
しかし私は、全身全霊で、「田中がくの大挑戦」を応援する覚悟です。

今後ともよろしくお願い申し上げます。

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国会議員の文書通信交通滞在費を巡る騒動と身を切る改革についての雑感

国会議員に毎月100万円支給される「文書通信交通滞在費」が大きな議論を呼んでいます。
事の発端は、先の衆議院総選挙で10月31日に当選が決まった初当選議員に対し就任一日でありながら10月ひと月分の「文通費」が支給されたことを、日本維新の会の松井代表と吉村副代表が批判したことです。ところが、当の吉村氏自身に6年前に1日でひと月分の文通費を支給されていたことが発覚し、SNSを中心に炎上する騒ぎとなりました。

 

さらに今回の騒動がやぶ蛇となって、維新の組織ぐるみの身内寄付、ダミー団体による政党交付金の還流、セルフ領収書、高額講演料、巨額の組織活動費、豪遊報道、大阪での失政の連続、信じ難いほどの不祥事の多さ、トップ二人がほとんど公務していない事実、一部在阪マスコミとの癒着などの過去の醜聞も掘り返されてしまい、「#維新に騙されるな」などのハッシュタグSNSを賑わせています。

 

維新の会の「ダブスタ・アクロバット批判」や「クロノスチェンジ」あるいは「順逆自在の術」などと揶揄される政治姿勢は、大阪では辟易するほど広く知られた事実なのですが、この度の衆院選躍進で維新への注目が全国的に高まる中、大阪以外の方々には割と衝撃的に受け止められているようです。

 

大阪で長く維新政治に向き合ってきた身からすると、この後、「自分の不祥事」を「社会全体の問題」や「制度の不備」にすり替えて「改革アピール」に偽計されるところまで容易に想像できるのですが、その際よく使われるのが、誤って片足を水際に突っ込んでしまっている手近な人を全力で水の中に突き落とす手法です。仲間だと思ってすり寄られている各党の皆さんにはくれぐれも巻き添えを食わないよう注意喚起をしておきたいと思います。

 

今回の問題に当てはめて言うと、本当であればセルフ領収書やトンネル寄付という制度の抜け穴をハッキングした維新自身が責めを負うべきはずなのですが、それがなぜか「議員の既得権益」ということに批判の対象がすり替えられ、日々の生活に苦しむ有権者ルサンチマンを煽ることで、他党批判の道具にされる(だろう)ということです。ちなみに「他党」には与党も野党も友党も関係ありません。弱みを見せたところがやられます。実際に我々は大阪で、隙を見せた公明党が股をくぐらされた上、靴まで舐めさせられる様を目の当たりにしてきましたので。

 

ところで、文通費の「問題」が「改革アピール」にすり替えられるであろう過程で憂慮されるのが、維新の「身を切る改革」姿勢です。「身を切る改革」とは要するに「俺がキツイことをするから、おまえらも我慢しろ」という「ネガティブ方向への同調圧力」が根底にある「緊縮志向の改革」です。

 

今後、文通費の問題は恐らく維新が(自らの失態を覆い隠すために)「ことさらでかい声」で主張することで、返上→日割り支給→減額という流れで、抑制される方向に「改革」されるでしょう。
大阪において、政務活動費、議員報酬、議員定数……何度も見てきた光景です。断言できますが、国政におけるこの流れは「文通費」で終わりません。

 

政治というのは想像以上に社会に対する影響力が大きく、政治的に影響力の強い方が「こうだ」と言うと社会にその空気感が醸成されることがあります。「景気は気から」とも言われるように、そこに暮らす我々の無意識が社会全体の空気を作るのです。
政治家が緊縮を訴え続けることは、経済を萎縮させ、足の引っ張り合いによって労働に対する対価である給料は下方向に引っ張られます。
実際、現下の日本では2000年頃から進んだ緊縮・構造改革路線によって「痛みに耐える」風潮が根深くはびこっています。
少しデータを引用すると、2000年以降、日本企業の経常利益は(リーマンショック時を除いてコロナ前まで)順調に伸びてきましたが、一方で労働者の給料はほとんど上がっていません。

 

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※引用元:三橋貴明氏の資料サイト

 

まさしく「働くものの身を切る改革」によって乾いた雑巾を絞り続けて来た日本経済の結果、国民生活は破滅寸前のところまで追いやられてしまいました。

「身を切る改革」がなぜ社会にとって良くないかについては、すでに多くの論評がありますが、Twitterで相互フォローをいただいている高橋聡氏のブログがわかりやすいので、代表してご紹介申し上げます。

身を切る改革とは?維新の会や自民党が身を切る意味と嘘を徹底解説
https://so-t.biz/2020/04/29/%e8%ba%ab%e3%82%92%e5%88%87%e3%82%8b%e6%94%b9%e9%9d%a9%e3%81%a8%e3%81%af%ef%bc%9f%e7%b6%ad%e6%96%b0%e3%81%ae%e4%bc%9a%e3%82%84%e8%87%aa%e6%b0%91%e5%85%9a%e3%81%8c%e8%ba%ab%e3%82%92%e5%88%87%e3%82%8b/

高橋氏が指摘するように「年収2500万円の国会議員が100万円身を切るのと、年収300万円の人が100万円身を切るのとでは重みがまるで違います」
また政府(公共部門)と民間企業は社会的役割が異なりますから、特に景気の悪い時期に政府部門の「身を切りまくる」ことは、社会の需要をやせ細らせ景気をさらに悪化させます。
さらに国家財政の規模から言って議員の文通費を半額にしたところでほとんど効果はありません。それよりも、先ほど述べたように極めて社会的影響力の強い国会議員に歳費でも文通費でもしっかりと公正かつ適正に支出して(きちんと仕事をして)いただいた方がその何倍も社会的に良い影響があるでしょう。

私はれいわ新選組を総論で支持する者ではありませんが、面識のある大石あきこ議員がツイートした「維新を倒すための戦費として私は100万円でも何でも使います」というのは、政治家として正しい行動だと思います。

 

問われているのは「有権者の目」です。