野村ともあき【非公式】ブログ|前堺市議会議員

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その3 2025年大阪万博 開催に向けての課題 ~2005年 愛・地球博を振り返る(開催準備編)

先にアップしたエントリ「大阪万博 開催への課題」その1その2は、おかげさまで多くのアクセスをいただきました。皆さんの関心の高さに驚くとともに、やはり万博開催については冷静にしっかりと考えることが重要であると改めて感じた次第です。

 

先般策定された大阪万博(2025)の基本構想は、2005年の愛知万博愛・地球博)を参考に立案されたものであることは前述しました。そこで「大阪万博開催に向けての課題」を考える際には、愛知万博開催当時の状況を知っておくことは重要だろうと考え、当時の記録などを調べてみました。すると、「2005年日本国際博覧会 公式記録」と「虚飾の愛知万博 土建国家『最後の祭典』アンオフィシャルガイド」という2冊の書籍に行き当たりました。

 

「公式記録」はその名の通り、愛知万博の事業主体である「財団法人2005年日本国際博覧会協会」が発行した公式の記録です。
後者の「虚飾の~」は、愛知万博を開催前から10年以上に渡って取材してきたジャーナリストの前田栄作氏による著作で、タイトルからわかる通り愛知万博を徹底的に批判した内容となっています。

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2冊は、いわば大本営発表と批判書という位置づけです。また「公式記録」は開催後に、「虚飾の~」は開催直前に著されたという違いもあります。
対極にある2冊ですが、結論から申し上げて、私は「2025年大阪万博に関わる者は全員この2冊を読むべきである」と強く感じました。

 

私は愛知万博には行ってないので、実際の万博の様子も知りませんし、関連する当時のニュースなども特に記憶に残っていません。実は、成功したのか失敗したのかすらちゃんとわかっていませんでした。
しかし、開催前から総括までを賛否両面から克明に記した両書を読み、愛知万博がどのような経過を歩み、どのような結果に至ったのかを知ることができました。そしてそれは、これから大阪万博の成功に向けて総力を尽くさなければならない我々にとって、非常に多くの示唆を与えてくれるものでした。

 

私は時系列に沿って「虚飾の~」から読み始めました。
本書は愛知万博開催前に書かれたので、当然、万博開催中の写真が一切ありません。本書には、開催に至る無理な計画や相次ぐトラブル、開催地を巡る土地疑惑、推進派と反対派のせめぎあいなどが、ほとんど文章だけで淡々と綴られています。筆致は全編を通して重苦しく、万博開催の華やかさや歓喜のような表現は一切ありません。それがかえって想像力を刺激し、演出を極力排除したドキュメンタリー映像のようなリアルさを覚えました。
あとがきにおいて、筆者は「愛知万博は間違いなく赤字となり、愛知県は破綻する」と警鐘を鳴らし、暗澹たる空気感の中で本書は終了します。

 

続いて、実際の開催結果はどうであったか知るために「公式記録」を紐解きました。本書はA4判の大型本で、550ページに渡って「2005年日本国際博覧会」の基本構想から誘致、準備、開催、結果に至るまでの経過が詳細に記録されています。

 

私は本書を開いてまず目に飛び込んでくる、巻頭の万博会場の華々しいカラー写真を見たとき、先に読んだ「虚飾の愛知万博」の寂寥感に満ちた空気から180度異なるその明るい雰囲気に、準備期間中の押しつぶされるような重圧に耐え開催にこぎつけたであろう関係各位の感情に自然と移入させられ、ある種の高揚感のようなものを感じさせられました。
それは様々な苦難を乗り越え開催に至った17年に及ぶ国家プロジェクトを追体験するような不思議な感覚でした。

 

結果を先に言うと、愛知万博は「成功」しました。来場者数22,049,544人、事業収支は129億円の黒字。BIEのロセルタレス事務局長は愛知万博を「類稀なる偉業」と称えています。
しかし、公式記録の冒頭に「閉幕時に新聞各紙は~開催前には考えられなかった極めて好意的な評価を下した」と書かせるほど、開催前の評価は厳しかったようです。それを覆し、万博を成功に導いた裏には、関係者の血の滲むような努力があったことは想像に難くありません。

 

私は大阪万博の成功を願っています。いや、成功させなければなりません。
しかし、現時点において大阪万博が置かれている状況は、同時期の愛知万博よりはるかに厳しいものです。
2025年の大阪万博を成功させるために、私は、関係者全員がその構想の端緒となった愛知万博を丁寧に分析し、その手法を学び、これから何度も直面するであろう困難な局面を打開する際に意識の方向性を共有しておくことが、極めて重要であることを確信しています。

 

そして、本稿がその一助となることを切に願います。

 

それでは両書籍を元に、愛知万博の歴史を見ていくことにしましょう。

 

愛知万博は正式名称を「2005年日本国際博覧会」といい、略称が「愛知万博」、愛称が「愛・地球博」です。

愛知万博は1988年10月に当時の愛知県知事 鈴木礼治氏が誘致構想を提案し、90年2月に名古屋市の東20kmに位置する2000haの森林「海上の森(かいしょのもり)」を会場候補地として選定しました。

 

前出の「虚飾の~」によると、実は愛知県は1988年のオリンピックの名古屋市開催を提案しており、誘致を争った結果、81年の選考でソウル市に敗れています。
その会場候補地もやはり名古屋市東部の丘陵地帯で、周辺の土地を巡っては大規模開発事業が浮かんでは消え、鈴木知事、前々知事、前知事とその支援者らが複雑に関係した土地疑惑の末に、副知事が逮捕、前知事が自殺するという前代未聞の事件にまで発展したとのことです。

 

一方、その後に浮上した万博開催構想も、発案当初から県の「新住事業」とセットにされていました。
新住事業とは新住宅市街地開発法に基づくいわゆるニュータウン開発のことで、高度成長期には全国の大都市郊外で多くのニュータウンが建設されました。
愛知万博には、新住事業によって大規模開発を行い開催後の跡地は宅地とするプランが当初から組み込まれていたのです。ニュータウン開発と万博、どちらが先にあったのかは憶測の域を出ませんが、時はバブルの真っ只中。オリンピックと万博を通して、土地開発に血道をあげた県の遮二無二な姿勢が伺えます。

 

もちろん愛知県や大阪府に何らかの疑惑があるとは言いませんが、オリンピック誘致に失敗した土地で万博を開催するという構図は全く同じであり、関心を惹かれる事実です。

 

「虚飾の~」に当時の鈴木知事の言葉が書かれています。
「万博に1兆5000億の投資を行えば、8兆6000億の経済波及効果が得られる」。

 

構想がスタートしてから地元で誘致活動を担ったのは、愛知県内の産官学の関係者らで作る「21世紀万国博覧会誘致準備委員会」でした。本委員会が94年6月に基本構想を策定、95年末に政府の閣議で了承され、日本として正式に万博を誘致していくことになります。翌96年、BIEに2005年の開催希望を通告。そして97年6月、選考の結果、カナダのカルガリーを破って日本開催が決定します。
誘致構想の発議から実に9年後のことでした。

 

ちなみに、この時の誘致合戦では、事前に立候補を表明していたオーストラリアが経済的な理由から辞退、カナダとの一騎打ちになった結果、未加盟国にBIE加盟を促す多数派工作が激しさを増し、投票権を持つ加盟国が半年で47か国から82か国に増えたといいます。
この辺りも今回の誘致活動に酷似した流れで、日本が開催を勝ち得たのも外務省を中心に政府に誘致ノウハウの蓄積があったからかもしれません。


さて、現在の大阪万博は開催が決定したこの時点に置かれています。ここから具体的な開催のための準備に入っていくわけですが、愛知万博においてそれらはどのような経緯をたどったのでしょうか。

 

政府はまず通商産業大臣を万博担当大臣として指定し、事業主体となる「万博協会」に政府が様々な支援を行うための「特措法」が制定されます。同時に、開催地では愛知県と名古屋市をはじめとする県内の7市町と財界が中心となり、97年10月22日に「財団法人2005年日本国際博覧会協会」(万博協会)が設立されました。当初の基本財産(資本金)は3000万円、各界からの出向者30名の職員でのスタートだったそうです。
これ以降の開催へ向けた準備は万博協会が担うこととなりました。

 

協会は組織づくりや開催基本計画の素案づくりを進め、約1年後の99年1月22日に「会場基本計画案」を発表します。当初の基本構想と同じく「海上の森」を会場とする内容でした。

しかし、豊かな自然の森を万博会場として開発する計画は、基本構想の段階から日本自然保護協会や世界自然保護基金WWF)などの環境団体から強い反対を受けていました。反対派と政府・県との間でせめぎあいが続く中、同年5月12日、環境庁レッドデータブック(絶滅の恐れがある動植物のリスト)に掲載されているオオタカの営巣が会場予定地で確認されます。

 

これをきっかけに環境庁が計画に難色を示すなど、「海上の森」会場計画案は大きくゆらぎ始め、同年7月の企画調整会議では「愛知青少年公園」を会場とする案が提示されるに至りました。「公式記録」には、海上の森から愛知青少年公園へとメイン会場が移っていく会場図の変遷が大きく掲載されています。

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11月15日、会場の視察と登録申請にかかる実務協議のためBIE幹部が来日します。そこで行われた通産省との会談の内容をすっぱ抜いた中日新聞の記事が関係者に衝撃を与えました。「万博の跡地は住宅地にするということだが、これは万博を笠に着た、環境を破壊して行う開発行為ではないか」。BIE幹部は政府に対しこう詰め寄ったと言います。

 

この報道を受けて開催計画は大きく見直されることになりました。
政府は5月に予定されていたBIE登録申請(開催申請)を延期することを決定。4月4日、政府、愛知県、万博協会の間で、会場配置の大幅な変更と新住計画の中止を含む「基本的方向性」の合意がなされます。

 

またこの間には、市民による「万博開催の是非を問う住民投票条例の制定を求める署名活動」が展開され、必要法定数の3倍に当たる32万人もの署名が集まるなど、混乱が続きました。(条例案は県議会で否決)

 

期限が刻一刻と迫る中、ほとんど一からの練り直しと言って良い開催計画の変更作業が急ピッチで進められました。
約半年後の同年12月、日本政府はBIEに対し登録申請を行い、無事承認されます。

開催決定から3年と半年後のことでした。

 

新たなテーマとされたのは「自然の叡智」。環境問題への批判を受けての変更でした。また開催期間、会場エリア、資金計画、跡地利用などはこの時点で正式に決定したものです。

 

さて、ことの真偽は定かではありませんが、「虚飾の~」には、通産省が「海上の森」での開催を強行しようとする愛知県に方針転換させるために、中日新聞に記事をスクープさせたと記されています。

 

会場計画にかなりの無理があることは大阪万博も同様ですし、万博の開催とカジノの誘致が表裏一体であることを、大阪府知事大阪市長をはじめ維新の会は公言してはばかりません。

今後、万博会場跡地をどうするのかという計画はBIEで必ず議論になります。
万博跡地を「隣接する『カジノを含む統合型リゾート施設』の拡張用地に使う」では、到底、国際社会の理解は得られないことを肝に銘じなければなりません。

 

愛知万博の例を見るまでもなく、今後詳細を詰めていく中で経済産業省や外務省は大阪府の計画にある多くの課題に直面することになるでしょう。

時系列で比較すると、愛知万博の最終計画が確定し、BIEに登録されたのが開催の4年4ヶ月前のことでした。2025大阪万博の開催4年4ヶ月前は2021年の1月となります。

それまでの約2年間、我々は万博開催に向けた事業計画を、世界に誇りうる内容とするため、全力で取り組まなくてはなりません。

 
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さて、例によって乱筆乱文のため、大変な長文になってしまいました。
ここから愛知万博の「実際の開催に向けた取り組み」を紹介したいのですが、これまた「開催準備編」以上に大変な内容なので、とりあえず一旦キーボードを閉じ、稿を改めたいと思います。