維新の会はなぜバーベキューが好きなのか
維新の会はバーベキュー場が好きである。
堺市内にある大規模公園にはだいたい有料のバーベキュー場がある。府営にも市営にも関係なくある。私は大反対したが、仁徳天皇陵の真ん前の広場にもバーベキュー場が設置された。二万歩譲って他の公園なら良いが、大仙公園はダメだと思う。
仁徳天皇陵は現存する皇室の陵墓であり、世界遺産である。周辺は皇居を思わせる松の木が植えられ、お堀は静かに水をたたえ、荘厳で凛とした空気を醸し出している。拝所の前の桜並木は春にはそれはそれは美しい感動的な風景を見せてくれる。堺市民の誇りだ。
そんな場所に肉を焼く香ばしい匂いがぷ~んと立ち込める。上がる煙は「民の竈」であれば結構なことだがそうではない。
楽しければ良いというものではなかろう。金になってるのだから文句を言うなという意見にも賛同しかねる。
歴史伝統文化と商業化されたバーベキュー場は異質なものだ。
それぞれの是非や善悪を言ってるのではない。異なる存在だからそんな場所にそんなものを持ってくる感覚がおかしいと言っているのである。
大阪城も仁徳天皇陵も大阪の歴史文化を象徴する場所だ。海外の人がそこを訪れるのは日本の本当の歴史や文化に触れたいという思いからだ。そこにバーベキュー場は必要ないし、あってはおかしい。
皇居前の広場でバーベキューをする者はいないだろう。昔訪れたウィーンのシュテファン広場やシェーンブルン宮殿の庭園にもバーベキュー場はなかった。
それと同じことだと思うがどうか。
(でも難波宮は時間の問題かもしれない。奈良公園や春日大社の周辺ももしかしたらもしかするかも知れないので注視する必要がある)
維新の会はなぜバーベキューが好きなのか。
それは歴史文化へのタダ乗りだからである。歴史文化は一朝一夕には創られない。貴重だからこそ人が集まる。先人が長い年月をかけて築いてきたものにフリーライドし、最も簡単に手っ取り早く金儲けに転用できるのがバーベキュー場だというわけだ。率直に言って貧困な発想である。
基本的に維新の会の政策立案は安直だ。感覚的にも私とは相容れないものが多い。仁徳天皇陵を電飾で飾って中を見世物にしろなどというアイデアは私には思いもつかないし、「オープンスペースは空き地」という発想も極めて短絡的に感じる。御堂筋の百尺規制と二列のイチョウ並木にも景観上の意味がある。空いているからもったいない、ではない。串焼き屋台は別の場所でやれば良い。プラダの前にはいらない。
歴史文化を紡ぐには長い年月を要するが、破壊するのは一瞬だ。私たちの社会には壊してはならない、失ってはならないものがある。そこに住む住民普遍の財産を、今だけ、金だけ、自分だけのために時の為政者が好きにしてはいけないと、私は思う。
堺市は仁徳天皇陵を空中から眺めさせるために気球を飛ばすそうだ。私の記憶が確かであれば仁徳陵周辺の大仙公園は「風致地区」であったはずだ。風致とは自然や歴史的景観による「おもむき」のことである。そこにバーベキューや気球は根本的に意義や目的のことなる施設であり設置してはならない。このような計画が庁内で異論なく進んでしまうことに暗澹たる気分にさせられる。堺市はいったいどこでどうなってしまったのだろうか。