統一地方選挙結果に関する雑感(大阪・堺)
元堺市議会議員の野村ともあきです。
4年に一度の統一地方選挙が終わりました。
私も4年前に3期目となる堺市議会議員選挙に当選をさせていただいたことを思い出します。あれから、堺市長選挙に出て失職したり、自民党をやめちゃったり、独立系の無所属政治家として活動したりと、色々なことがありすぎて、私自身を取り巻く政治環境も大きく変わりました。まさにあっという間の4年間でした。
そのような環境下で初めて迎える統一地方選挙でした。立候補されていた方の中には、この4年間、私自身がお世話になった方や、あまりお会いできなかった方、全く初めて出会う方々も大勢いらっしゃって、様々な思いを抱えながらの選挙となりました。
統一選の結果は、各種報道にあるように、維新の会さんが「大躍進」という結果となりました。これは大阪に限ったことではなく全国を含めた潮流となりつつありますが、こと大阪に至っては、既存政党が風前の灯火と言って良いほどの状況に追い込まれてしまいました。
特に、大阪市会においては維新の会が過半数を握るという、二元代表制を前提とする地方自治において非常に憂慮すべき状況を生んでしまっています。
「憂慮すべき」とは私が「非維新」の立場だから言っているのではありません。
自治体の首長には、一国の大統領にも例えられるほどの非常に大きな権限が与えられています。
旧五大市の筆頭に掲げられた大阪市は言うまでもなく日本有数の基礎自治体であり、予算規模も市有財産も桁違いに大きい。
「権力は必ず腐敗する」と言われますが、それをチェックしブレーキをかけるための存在が「議会」です。議会は、多様な住民の意見を受け止め、真摯で丁寧な議論によって、最高ではないかもしれないけれども最適な行政上の「答え」を探る場所です。それが機能しなくなると、少数意見は無視され、特定の団体の利害だけが優先される状況が生まれてしまいます。
それは私の杞憂ではなく、まさに先立って首長と議会の過半数を一党が占めることとなった大阪府議会がそうでした。大阪府においては補正予算が議会の審議を経ず知事の決定で執行される専決処分が46.8%という異例の高さとなっています。また、私の住む堺市では府議会の定数減が行われ、すべての選挙区が一人区(小選挙区)にされてしまいました。小選挙区はいわゆる「死に票」が多く、民意を正しく反映しているとは言えない課題の多い仕組みです。少なくとも二元代表制を採る地方議会においてはふさわしくない制度です。この結果、維新以外のすべての会派の議員は堺市から議席を失いました。堺市から維新以外の府議会議員はいなくなり、文字通り「独裁体制」ができあがったのです。
なにより我々が肝に銘じて認識しておかなければならないのは、これが「民主的な手続き」に則って「意図的に」築き上げられたという事実です。
おそらく大阪市においても同様の状況は進むでしょう。先例があるぶん、その速度は大阪府より速いかもしれません。
さらには中間自治体である大阪府と基礎自治体である大阪市では住民に与える直接的な影響力は比較になりません。
基礎自治体が扱う事務は、上下水道、義務教育、保育所、地域福祉、地域経済、まちづくり、中核市以上であれば保健行政も扱います。どれも私たちの生活に極めて密接に関わるものばかりです。加えて、大阪市には激しい議論となっている夢洲開発、万博の開催とカジノの整備が控えています。
今後の4年間で大阪の政治がどのような方向に進んでいくのか、維新を支持された有権者も含め、厳しい目でチェックする必要があるでしょう。
この点について、私は政治家として、いくら警鐘を鳴らしても不安を煽り過ぎることにはならないと確信を持って主張します。民主主義は決して完璧な制度ではありません。すべての住民に理知的で自制的な警戒心が必要であることを強く指摘しておきたいと思います。
最後に、私の住む堺市に関しては、少し状況が異なる結果となったことをご紹介しておきます。堺市では統一選の直後に堺市長選挙が予定されています。
十数年前に私が堺市で政治の道を志してからずっと不思議だったのは、堺市には「自治」に対する意識(うまく表現できませんが、思いとか感度と言い換えることもできると思います)が際立って高いということです。
間違いなくこれは中世に成立した「自由・自治都市」の気風が影響しているのだと思います。
そのような堺市においては、「維新以前」においても政党政治に対する風当たりは強かったことを、私は元・自民党所属の議員として肌で感じておりました。
今回の統一選でもその傾向は顕著に現れることになりました。
堺市議会議員選挙においては、吉村旋風とも呼ぶべき知事選挙の影響をほとんど受けず、市議会の構成は前任期とほとんど変わりませんでした。もちろん区ごとの得票数や「選挙の綾(あや)」によって影響を受けた部分はなくはないですが、少なくとも堺市議会議員選挙は、同時に行われた大阪ダブル選、大阪府議会議員選挙のような結果にはなっていません。理由は様々に考えられますが、確たることは現時点では言えません。
直後に控える堺市長選挙がどのような結果になるのか、大変に注目されることになるでしょう。
私自身は、前述のように大阪の憂慮すべき政治状況を少しでも緩和できるような活動ができるよう、力を尽くしたいと思っています。
「アンガーマネジメント」について(備忘録)
元堺市議会議員の野村ともあきです。
現代人はストレスを感じてイライラしがちと言われますが、「短気は損気」とも言われるように、怒ってばかりいては自分にも周囲にもプラスにはなりません。トラブルの原因になることもあります。
そこで不必要な怒りはさっと受け流せるように考案されたのが「アンガーマネジメント」です。
「アンガーマネジメント(戸田久実 著、日経BP日本経済新聞出版 2020)」は、人間が怒りを感じる理由や怒りをコントロールする方法を紹介した書籍です。
私も本書を参考に日々実践できるよう努力しています。非常に簡単な方法ですが、実際にやるとなると結構難しいです。
今日は、自身の備忘録も兼ねて、本書の「第4章 アンガーマネジメントの実践(P93~)」から、具体的な方法についてご紹介させていただきます。
仕事やプライベートで日々ストレスを感じてイライラしがちな方は是非お試しください。※印部分は私、野村の追記です。
1、怒りを数値化するスケールテクニック
怒りを感じたときに、その怒りがどのくらいの程度かを10点満点で採点する。
0点が「全く怒りを感じていない状態」、続いて「イラっとするがすぐ忘れてしまう程度」「時間がたっても心がざわつくような怒り」、「頭に血が昇るような強い怒り」、「絶対に許せないと思うくらいの激しい怒り」といった感じで数値化します。
「今のクレームの電話は3点くらいかな」という感じです。
2、心が落ち着く言葉を自分に言い聞かせる
怒りを感じた瞬間、何でもいいので心が落ち着く言葉を自分に言い聞かせる。本書では例えば「何とかなるさ」「大丈夫」「死ぬこと以外はかすり傷」「焼肉を食べたいなぁ」「テクマクマヤコン」などが例として挙げられています。
※私は「克己復礼(こっきふくれい)」と言う論語の言葉を3回繰り返すようにしています。
3、数を逆算するカウントバック
人間が怒りを感じてから理性が働くまで6秒程度かかるそうです。そのため怒りを感じたときに数を数えてやり過ごすと言う方法です。本書では「1、2、3、4、5、6」と考えるのではなく、ちょっと考えないと数えられないような設定を勧めています。例えば、100から3ずつ引いて「100、97、94・・・」と計算しながらカウントバックすると言う方法です。
※私はその瞬間目に入った数字、例えば時刻の「分」などから6を逆に数えるようにしています。その時32分だったら「31、30、29、28、27、26」と数えます。とっさにやるとなると結構難しく「怒り」から頭がさっと離れます。
4、思考を止めるストップシンキング
いわゆる「頭の中を真っ白にする」という行動です。例えば、パソコンの画面を白い上で被ってしまい物理的に怒りの原因を真っ白にするという事が例として挙げられています。
5、深呼吸をする
一分間に4から6回、吸って吐くまでは10秒から15秒ということです。
以上、これらは全てを行うのではなく自分に合った方法を選んで試してみてくださいとのことです。
その他にも、五感に集中するグラウンディングという方法も紹介されています。
これは、怒りが沸いた瞬間に、自分が何か集中できそうな全く別のことを五感を使って見つけるという方法です。例えば、
嗅覚を使って部屋の中のアロマの良い香りが何か考えてみる。
今手にしているペンの種類をじっくり確認してみる。
今持っているスマートフォンの傷の状態などを調べてみる。
などです。
※私は4の深呼吸と合わせて「深呼吸で入ってくる空気の感触を、鼻に神経を集中させて鼻孔の内で感じ取る」という方法を実践しています。このやり方は別の「平常心のレッスン」という小池龍之介さんの書籍を参考にしました。
以上、瞬間的な怒りをやり過ごす対処法について引用させていただきました。本書ではその他に「中長期的に怒りにくくなる体質改善」のためのトレーニング方法についても紹介されています。ご関心のある方はお読みください。以上です。
それでは皆さん、良い一日をお過ごしください!
維新の会はなぜバーベキューが好きなのか
維新の会はバーベキュー場が好きである。
堺市内にある大規模公園にはだいたい有料のバーベキュー場がある。府営にも市営にも関係なくある。私は大反対したが、仁徳天皇陵の真ん前の広場にもバーベキュー場が設置された。二万歩譲って他の公園なら良いが、大仙公園はダメだと思う。
仁徳天皇陵は現存する皇室の陵墓であり、世界遺産である。周辺は皇居を思わせる松の木が植えられ、お堀は静かに水をたたえ、荘厳で凛とした空気を醸し出している。拝所の前の桜並木は春にはそれはそれは美しい感動的な風景を見せてくれる。堺市民の誇りだ。
そんな場所に肉を焼く香ばしい匂いがぷ~んと立ち込める。上がる煙は「民の竈」であれば結構なことだがそうではない。
楽しければ良いというものではなかろう。金になってるのだから文句を言うなという意見にも賛同しかねる。
歴史伝統文化と商業化されたバーベキュー場は異質なものだ。
それぞれの是非や善悪を言ってるのではない。異なる存在だからそんな場所にそんなものを持ってくる感覚がおかしいと言っているのである。
大阪城も仁徳天皇陵も大阪の歴史文化を象徴する場所だ。海外の人がそこを訪れるのは日本の本当の歴史や文化に触れたいという思いからだ。そこにバーベキュー場は必要ないし、あってはおかしい。
皇居前の広場でバーベキューをする者はいないだろう。昔訪れたウィーンのシュテファン広場やシェーンブルン宮殿の庭園にもバーベキュー場はなかった。
それと同じことだと思うがどうか。
(でも難波宮は時間の問題かもしれない。奈良公園や春日大社の周辺ももしかしたらもしかするかも知れないので注視する必要がある)
維新の会はなぜバーベキューが好きなのか。
それは歴史文化へのタダ乗りだからである。歴史文化は一朝一夕には創られない。貴重だからこそ人が集まる。先人が長い年月をかけて築いてきたものにフリーライドし、最も簡単に手っ取り早く金儲けに転用できるのがバーベキュー場だというわけだ。率直に言って貧困な発想である。
基本的に維新の会の政策立案は安直だ。感覚的にも私とは相容れないものが多い。仁徳天皇陵を電飾で飾って中を見世物にしろなどというアイデアは私には思いもつかないし、「オープンスペースは空き地」という発想も極めて短絡的に感じる。御堂筋の百尺規制と二列のイチョウ並木にも景観上の意味がある。空いているからもったいない、ではない。串焼き屋台は別の場所でやれば良い。プラダの前にはいらない。
歴史文化を紡ぐには長い年月を要するが、破壊するのは一瞬だ。私たちの社会には壊してはならない、失ってはならないものがある。そこに住む住民普遍の財産を、今だけ、金だけ、自分だけのために時の為政者が好きにしてはいけないと、私は思う。
堺市は仁徳天皇陵を空中から眺めさせるために気球を飛ばすそうだ。私の記憶が確かであれば仁徳陵周辺の大仙公園は「風致地区」であったはずだ。風致とは自然や歴史的景観による「おもむき」のことである。そこにバーベキューや気球は根本的に意義や目的のことなる施設であり設置してはならない。このような計画が庁内で異論なく進んでしまうことに暗澹たる気分にさせられる。堺市はいったいどこでどうなってしまったのだろうか。
堺市のガス気球運行事業とヘリウム危機について
堺市が仁徳陵を空から眺めるために遊覧気球を上げる計画を進めている。
計画開始から3年以上を経て、来月下旬からやっと試験運行を開始するそうだ。
計画がここまで延びたのはコロナの影響もあるが、実際のところはヘリウムガスが入手できなかったからである。
堺市の気球はガス気球でヘリウムを使用するが、近年ヘリウムは世界的に不足しており、極めて入手困難な状況が続いている。
ヘリウムは医療や半導体の製造などに不可欠な元素で、人工的に製造することができない限りある天然資源である。
医療、工業、学術研究などの分野におけるヘリウム不足は深刻で、世界的な争奪戦になっており価格も高騰しているそうだ。
ヘリウムの枯渇は年を追うごとに現実味を帯びており、風船やボイスチェンジャーのような遊びに使う余裕はないと専門家は指摘する。
その意義も希薄で、事業継続性も危ういと言わざるをえない堺市の遊覧気球事業はこのまま進めるべきだろうか。
冷静に問われるべきである。
以下に、いくつかのヘリウムに関する事例を紹介した記事をリンクします。
櫻井翔『櫻井・有吉THE夜会』で「嵐ヘリウム事件」をネタにするも、世界情勢を理解していなかったキャスター像が露呈し批判殺到「あの気球が飛んだ裏で何人の人が死んだんだろう」
https://www.jprime.jp/articles/-/27520
「ヘリウム危機」が本当にヤバい理由を「元素の起源」から教えます @bluebacks_pub https://gendai.ismedia.jp/articles/-/70228
ヘリウム不足「深刻」、再利用訴え 日本物理学会など - 日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXMZO53628920Q9A221C1000000/
ヘリウム危機について 名古屋工業大学 産学官金連携機構 設備共用部門 低温室責任者 大原繁男
https://yamashita.issp.u-tokyo.ac.jp/ISSPWS191106/pp191106/oharapp.pdf
無題
大阪ダブル選挙が絶望ととともに終わった。現職吉村知事は史上最高得票となる243万票を獲得し、次点候補に6倍近い異次元ともいうべき大差をつけ圧勝した。当初互角の勝負ができると一部で楽観視されていた大阪市長選挙もトリプルスコアに近い差がついた。惨敗という表現すら生ぬるい結果である。
本選挙に関する総括は何をどう書いても批判や愚痴にしかならないので、関係者の気分も悪いだろうし、私も気分が悪いので、書くのを止めておこうかとも思ったが、批判に耳を傾けず反省もない組織に改善や成長はないし、長い目で見て自分のためにもなるだろうと思って書き留めておくようにする。終わってからごちゃごちゃ言うなという批判も甘受する。耳の痛い批判を聞く気がない向きに書いているわけではないので、読みたくない人は読まないでいただければ幸いである。本来であればチラシの裏にでも書いてせんべいの空き缶にでもしまっておくような内容だが「非公式ブログ」に書いてひっそりと拡散はせずに置いておく。なにぶん感情に任せて書いているので推敲も構成も一切していない。なぐり書きである。文責は負うが「非公式」ブログということでご理解いただきたいと思う。
以前にも書いたが本選挙の意義はまさに大阪の次の100年をうらなう選挙だった。最も大きな争点はカジノだ。地域経済を吸い上げ、行政がカジノに依存する、大阪をそういう町にするかどうかを決める選挙だった。カジノの契約期間は65年かそれ以上。そのような長い時間、大阪がカジノに影響を受け続ければ、恐らく街を覆う空気や人々の気質のようなものも変容する。歴史上、「なにわ」の街のイメージはいくつもあったと思う。古代、中世、江戸、明治、大大阪、戦後、高度成長、バブル後、吉本、維新……それらに続く新しい「大阪」の「有り様」や「絵姿」をどう描くかという大阪人の選択だった。
カジノの事業内容に対する批判はもうこれ以上必要ないほど世の中にはあふれている。私もずっと批判し続けてきた。その中で私が最も懸念するのが「カジノのある町が生み出す大阪の空気」である。それをイメージするのに最も適しているのは、東南アジアの場末のカジノだ。私は大阪のカジノはシンガポールやマカオのようにはならないと思う。理由は大阪の僻地である人工島に一軒ポツリと作られるだけの施設だからだ。アジアで成功していると言われるシンガポールのサンズはマーライオンの隣、大阪でいえば難波のスイスホテルか梅田のヒルトンくらいの場所にある。マカオには約40軒のカジノがある。好きか嫌いかは別にして、町全体が派手できらびやかで刹那的な享楽感に覆われている。
一方で韓国のカンウォンランドには私は行ったことはないが、若宮健さんとのトークライブなどでずいぶん詳しくお話を聞かせていただいたし、自分で調べもした感覚では、衰退する炭鉱の街にある一軒だけの場末の鉄火場という印象だ。カンウォンランドの売上は年間300億円程度に過ぎない。通りには質屋と性風俗店が立ち並び、生業をなくした人々は街を出ていくか、街を出る力すらない人々はカジノのアガリで支給される配給(まさしく「カジノの儲けを回された福祉」である)で細々と生活をしている。大阪のカジノ事業計画によると、売上はカンウォンランドの16倍である。果たして大阪のカジノは成功するのか。
大阪のカジノは港湾地区に作られる。人口が減り続けている此花、港、大正、住之江のエリアである。大阪のベイエリアに夜に訪れたことがある人はATCやWTC、ハイアット、インテックス周辺の雰囲気と言えば想像できるだろう。あの言葉では表現できない寂寥感である。カジノで大負けしてあの場所に放り出された人の心情はどのようなものであろうか。カジノや夢洲駅の周辺は、コンテナがうず高く積み上げられ砂ぼこりと轟音を立てて大型トレーラーが行き交う場所である。カジノが一軒ポツリとできるだけであの広大な港湾地区のイメージが一変するとは私には到底思えない。
ここまで「前置き」のつもりがものすごく長くなってしまった。このカジノと大阪府市は65年間の契約を結ぶ、それも極めて異常な不平等な条件のもとに。まさに今後大阪の100年にわたって影響を与える大きな決断がこの選挙であった。問題が多いからこそ、国は「住民合意」を図るために、カジノの認可に対して異例の延長措置を取った。統一地方選挙の結果を見極めようとしたのである。この選挙がどれほど大きな意義を持っていたか理解できよう。この延長措置を実現するために、いくつもの団体が国に必死の働きかけを行った。一年以上をかけた運動の末、当初の目標通り「統一戦後の判断」という奇跡と言える決定をつかみ取ったのである。その運動のメンバーの多くは非維新の候補者の選対関係者として選挙に関わっていた。最後の最後の大勝負に出なければならない局面だった。
しかし、全く理解できないことに、非維新の中心的存在となるはずだった候補者の選対はカジノを争点にすることを避けた。候補者に「反カジノ」を訴えさせることを止めた。本当に全く理解ができない。私はかなり早い段階から戦略的提言を行い、カジノに強く反対し、そして対案として物流機能の強化を打ち出すことを強く勧めた。カジノの賛否を問う事前の世論調査はほぼ全てが「反対」多数だった。「博打の是非」は小学生でも答えられる。自治体制度の是非を問う「都構想」とは天と地ほどのわかりやすさの違いがある。これほどわかりやすい争点はなかった。維新との戦いという点で言えばまさに10年に一度の機会だった。しかし私の意見が聞き入れられることはなかった。
知事選に関しては候補者が乱立した。しかしこの点についても私は早い段階から、東京都知事選挙などの例から新興政党による候補者乱立の可能性があるので対策するよう提案をしていた。一部の人間には共有していたので時が経てば日の目を見ることもあるだろう。ちなみに私は完全無所属の立場から複数の知事選候補者の陣営に関わりを持ったが、それはこの戦略に基づく行動である。市長選の候補者は幸いなことに一本化され一騎打ちの構図を作り出すことができた。しかも私が最適任だと考えていた北野妙子氏である。政策議論に耐えうる実力を備えた女性の候補者である。真っ向からカジノや都構想に関して政策論争を挑めば100%議論に勝てたと思える千載一遇の候補者だった。しかしなぜか(最も重要な選挙の開始時に)候補者自身の口からカジノ反対や、カジノの争点化や、夢洲開発の対案や、教育無償化の制度上の瑕疵や、三度目の大阪市廃止住民投票や、広域一元化の否定や、松井市長の勤務姿勢に対する批判は封印された。選挙も最終盤になってカジノ反対や、SNSでちょろっと「木を切る改革」への批判などが言われだけだった。全く意味はなかった。市長は大阪市民270万人の代表である。強いリーダーシップや人を引き付けるビジョンが必要だ。だが、最も重要な争点であるカジノについて自分では判断せず「住民投票」に委ねると言い続けた。これでは有権者の心を打つはずがない。批判ばかりではなく「政策を語れ」。これも私が何度も求めたことである。メディアが報道しない、討論会が行われないことにも批判する声があったが、選挙を盛り下げたのは候補者の責任である。社会的な関心が高まっていればほっといてもメディアは食いつく。私は報道されないのは候補者の責任だと思う。その点において維新のメディア戦術に大きく後れを取っていたのは間違いない。着物を来て運動すればメディアが取り上げてくれると思っていたのなら猛省するべきである。浴衣で道頓堀川から手振りをするような10年前のセンスでは、今の大阪では絶対に選挙に勝てない。
当然の帰結として選挙の中間世論調査は絶望的な数字が出た。この時点で私は吉村300万票を覚悟した。自民党は崩壊すると確信した。崩壊には二つの意味がある。一つは知事選挙に引っ張られて多くの一人区の府議会議員候補が落選すること。これは4年前にも維新候補者の異次元の得票を見てきた経験から感じたことである。二つ目の意味は、浮足立ち混乱したラガード候補がカジノ反対に対してとんでもない行動に出ることである。なんのことか詳細はいちいち書かないが予感は的中し大炎上した。無関係な有能な候補者まで流れ弾に当たって落選の憂き目にあった。政治は結果責任だというのなら考案した人間は慣用表現ではなく万死に値すると思う。
ここから各候補者と陣営は勝利をあきらめたと思う。議員選挙が同時に行われていたことから、知事候補は議員選挙のための組織内応援候補としての役割に舵を切った。事実、たつみコータロー候補は最終盤で何人もの共産党地方議員候補を救ったと思う。ある意味、当初の擁立の目論見に立ち返ったとも言えるが、無所属を掲げ住民のための知事候補としては賛同しかねる行動である。仕方がないのかも知れないが一貫性を欠く戦略展開だった。
一方で維新陣営は「もうこれで絶対負けない」という確信を持ち、アリバイ作りのためにIRは争点と言い出した。最悪の展開だが、そら私でもそうするわ。各陣営が思いつく限りの最悪の戦い方を展開したことで、統一地方選挙は惨憺たる結果で終わった。
かくして、国はカジノを認可する最終調整に入ったとの速報が入ってきた。予想通り過ぎる展開である。
さて冒頭、絶望的と書いた。私が最も恐怖を感じているのは、大阪市会の単独過半数である。本当に身震いがするほど恐ろしい。
少し専門的な話になるが、中間自治体である府の議会の過半数と、基礎自治体である市(しかも日本有数の巨大政令市)の議会の過半数では全く意味が違う。ピンとこない方は、政令で指定された基礎自治体が所管する事務を調べてみて欲しい。思いつくままざっと挙げれば、上下水道、義務教育、児童福祉、介護、健康、セーフティネット、道路行政、消防、地域防災、扱っていないものを挙げるほうが早いかもしれない。大阪府の専決処分率は46.8%である。これと同じような状況が、基礎自治体である大阪市で、維新の首長によって展開される蓋然性が極めて高い。恐怖を感じないほうがおかしい。
今、私にできることは何かを真剣に考えている。
目まぐるしい10日間でした
元堺市議会議員の野村友昭です。
タイトルの通りこの10日間ほどは目まぐるしい日々を送りました。これほど色々なことが重なった日々は人生でも記憶にありません。4年前に市長選挙に立候補することが決まった時も怒涛のような日程でしたがそれ以上でした。
3月13日に母が87歳で他界しました。昨年から入院しがちで、最近はかなり衰弱してきていたので、事前に病院からも告知があり覚悟はしていましたが、この日の別れとなりました。生前のご厚誼と死去にあたりいただいた多くのご弔慰に改めて心より感謝申し上げます。
実はこの前後に、6月4日に行われる堺市長選挙に関する記者会見を行うことを検討していました。しかし母の急逝でとても実施できる状況ではなくなり、ご関係各位にはご迷惑をおかけしましたことをお詫びいたします。
葬儀をいつにするか式場などとも協議しましたが、卒業シーズンの真っ只中で日取りの問題もあり、17日の午後からということになりました。家族葬で行うことも検討しましたが恐らく葬儀後にご弔問に来られる方もたくさんおられるだろうということで、通常のお葬式として訃報をお出ししました。
母は保育園の園長をしていたので、小学校や地域と色々お付き合いがありました。
死亡した日の翌日は市立中学校の卒業式、葬儀の当日は私立小学校の卒業式、葬儀の翌日は市内の多くの保育園、幼稚園で卒園式が予定されていました。しかも私の長女は中学校3年、長男は小学校6年、私自身も小学校PTA会長でしたので卒業式を欠席するわけにもいきません。
17日の葬儀当日は午前中に卒業式に出席して祝辞を述べ、午後から母の葬儀を執り行いました。保育関係者、学校関係者をはじめ、大変なスケジュールの中、本当に多くの方にご参列、またご弔慰をいただき深謝申し上げます。おかげさまで当日中に無事に骨上げと初七日の法要まで終えることができました。
週末は統一地方選挙前の最後の土日ということで多くの事務所開きが行われました。
週が開けて20日、私事ではありますが、長女の府立高校の合格発表があり無事入学が認められました。当日、私は時間を勘違いしていて娘からの電話で合格を知らされましたが、親として本当に申し訳ないことをしたと反省しております。
この時点で私の堺市長選挙に関する意思表明については白紙に戻っていました。
翌21日の祝日も選挙に向けた行事が多くありましたが、それらに出席する中で、やはり統一地方選挙前に記者発表を行ったほうが、いろんな候補予定者の方々にとっても良いだろうと考え統一選前に発表することにしました。
しかし23日にはもう大阪府知事選挙の告示が迫っています。記者クラブに事前に問い合わせたところ、各社様、取材のためのリソースが確保できない旨のお返事でした。
結局、窮余の策で22日プレスリリース、24日の会見という流れとなりました。
ご支援いただいている皆様、政治関係者の皆様、マスコミ関係の皆様には周知連絡不行き届きの段、お詫び申し上げます。
会見自体は以前から準備をしていたのでお伝えしたいことは概ねお伝えすることはできたと思います。内容についても普段から考えていることを文字や言葉にするだけでしたので円滑にお話することができました。多くのメディアでも報道いただき感謝申し上げます。
本日26日から大阪市長選挙も告示を迎えました。大阪にとって非常に重要な選挙でありながら私自身の情報発信がほとんどできないままダブル選挙に突入してしまったことに大きな焦燥感を覚えますが、少し腰を落ち着けてダブル選挙、統一地方選挙に向き合いたいと思います。
政治的な公式の発信はnote公式ブログの方へ投稿する予定です。
以上、プライベートも含めた現状報告でした。感謝、合掌
維新支持の構造的分析と現代政治における縮図としての大阪
だいぶ以前のことだが、ジャーナリストの松本創(まつもと・はじむ)さんと対談する機会をいただいた。松本さんは『誰が「橋下徹」をつくったか 大阪都構想とメディアの迷走(140B出版)』や『地方メディアの逆襲(筑摩書房)』などの著者で関西を地盤にご活躍されている気鋭の作家である。
対談は、松本さんが先に寄稿された、雑誌『世界』の特集「維新を勝たせる心理と論理」(2022年3月号)という記事をもとに、「維新の会」が支持されている背景について客観的に考察を行う企画だった。
松本さんはジャーナリストとして、一方の私は実際の政治の現場に身を置く者として、それぞれの立場から感じるところをお話した。対談の中には多くの気付きや感じるところがあり、大変有意義な催しであった。
松本さんは、維新関係者や支持者への丁寧な取材を通じて、現在の維新への圧倒的な支持は、巷間よく言われるような「マスメディア(による偏向報道)のせい」だけではないと指摘する。
実はその点は、実際に維新と10年以上にわたって対峙してきた私自身も感じていたことで、確かにマスメディアの影響力は大きいものの、それを助長する社会的背景、世相の変化のようなものに目を向けないと本質を見誤ると考えていた。
対談の中で私がはっとさせられたのは、松本さんの言う「個人化の時代」というワードである。
社会的な時代の変化――もっと大きな枠組みで言えば「近代」の成立以降、「個人」が社会を形成する時代が到来した。そして時代が「現代」へと進むに至り、インターネットの普及が「個人化」をさらに進めることとなった。
この「個人化」の時代の流れにうまく合致したのが維新という組織であった。
前掲の「世界」の記事中、維新の横山府議がはっきりと述べている。「維新は旧来の組織や団体を通じて支持を獲得する政党とは異なり、個人と直接つながっている」政党であると(要約)。
維新は、明確に自らの組織と他党の強み・弱みを認識している。そして既存政党に打ち勝つために、極めて戦略的に「中間共同体の弱体化」と「社会の分断」を押し進めてきた。
同時にインターネットやSNSを駆使し、時にはウソも織り交ぜながら、個人への直接的な働きかけを強めることで、維新の支持層は確実に社会全体に広がっていった。
一方で松本さんは、経営上の理由などから関西のマスメディアの「報道する力」が低下していると指摘する。
在阪メディアの報道力の低下は安直な番組制作を招き、そこにコストのかからない行政職である知事や市長の出演が歓迎され、無批判に偏った情報が垂れ流される状況が生まれてしまっている。そして、ジャーナリズムの後退が維新とマスメディアの相互依存、共犯関係をますます深化させ、現在にまで至っている。
インターネットによる個人へのアプローチと、テレビを中心としたマスメディアによる一方的なマスに向けた情報。維新への支持はこの二つが相乗的に作用することで拡大してきた。
維新はこれまでの既存政党のような「左右」、あるいは「保革」の思想信条を第一義としない。これは創設者である「橋下徹」という政治家がそうであったからという理由も大きいが、社会全体が個人化によって多様化し、右か左かという単純なイデオロギーの構図では分類できなくなっていることも大きく影響している。
維新はその政策や言動が、掲げる主義主張や思想信条と必ずしも一致しない特異な政党だ。
なぜそうなるのかと言うと、維新は、多様化し移ろいやすい現代の価値観に対して、自らの政策や立ち位置の方を変化させているからである。そこには固定化されたイデオロギーは返って邪魔になる。
これまでの政治は、自らの信条によって導き出された政策の意義を有権者にどう伝えるかという構図で展開された。しかし維新のそれは、有権者に受ける政策は何かというマーケットリサーチの結果に立脚している。
いわば製品開発におけるプロダクト・アウトとマーケット・インの発想の違いである。
維新の政策立案過程においては、マーケットの意向が最も重要で、自身のイデオロギーは二の次である。場合によってはイデオロギーの方を修正、あるいは偽装する。
事実、維新の会は「保守政党」を自称し、しばしば「極右」とも評されることがあるが、政策的には「大阪都構想」に代表されるように革新的イデオロギーが土台となっているものが多い。
政令市を破壊する大阪都構想をはじめ、既存の組織やシステムの解体、歴史伝統文化への攻撃など、彼らが志向する数々の政策は、「グレートリセット」という言葉が端的に示すように「革命思想」がその根底にある。
一方で、維新が「右翼」を偽装するのは、有権者のルサンチマンやヘイトを煽って支持者の結束を固めようと画策する時であるが、先の革新的な政策的志向と通底するのは、有権者の「破壊的改革願望」に訴求するものであるという点である。
維新の「現状破壊系政策」の数々は、かつての小泉政権による「自民党をぶっ壊す」や「郵政民営化」、民主党政権による「政権交代」などの過去の例を強く意識し、研究し、それらを忠実に模倣している。
これら歴代の日本のポピュリズムに共通しているのは「破壊」と「変革」であり、「(ネトウヨ的な文脈ではない本来の意味における)保守思想」と対極をなすものである。すなわち現在の自民党や維新の会を「保守」とは呼べない。
2000年代以降、保守と革新の定義は大きく揺らいでいる。もはや現代社会は「左右」の対立軸だけでは到底説明できないほど多様化しており、その新たな思想的潮流は「定義」することすらままならないほど複雑に変化し続けている。そしてインターネットを軸としたICTがそれを暴走と呼んでいいほどに加速させている。
この新たな思想の枠組みを俯瞰的に捉え、課題を洗い出し、対処方法を考案することは我々政治に携わる者にとって急務である。
現在の大阪はまさにその縮図であり、大阪の有権者には重責が課せられていると言えよう。