野村ともあき【非公式】ブログ|前堺市議会議員

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維新支持の構造的分析と現代政治における縮図としての大阪

だいぶ以前のことだが、ジャーナリストの松本創(まつもと・はじむ)さんと対談する機会をいただいた。松本さんは『誰が「橋下徹」をつくったか 大阪都構想とメディアの迷走(140B出版)』や『地方メディアの逆襲(筑摩書房)』などの著者で関西を地盤にご活躍されている気鋭の作家である。

対談は、松本さんが先に寄稿された、雑誌『世界』の特集「維新を勝たせる心理と論理」(2022年3月号)という記事をもとに、「維新の会」が支持されている背景について客観的に考察を行う企画だった。

松本さんはジャーナリストとして、一方の私は実際の政治の現場に身を置く者として、それぞれの立場から感じるところをお話した。対談の中には多くの気付きや感じるところがあり、大変有意義な催しであった。

松本さんは、維新関係者や支持者への丁寧な取材を通じて、現在の維新への圧倒的な支持は、巷間よく言われるような「マスメディア(による偏向報道)のせい」だけではないと指摘する。

実はその点は、実際に維新と10年以上にわたって対峙してきた私自身も感じていたことで、確かにマスメディアの影響力は大きいものの、それを助長する社会的背景、世相の変化のようなものに目を向けないと本質を見誤ると考えていた。

対談の中で私がはっとさせられたのは、松本さんの言う「個人化の時代」というワードである。

社会的な時代の変化――もっと大きな枠組みで言えば「近代」の成立以降、「個人」が社会を形成する時代が到来した。そして時代が「現代」へと進むに至り、インターネットの普及が「個人化」をさらに進めることとなった。

この「個人化」の時代の流れにうまく合致したのが維新という組織であった。

前掲の「世界」の記事中、維新の横山府議がはっきりと述べている。「維新は旧来の組織や団体を通じて支持を獲得する政党とは異なり、個人と直接つながっている」政党であると(要約)。

維新は、明確に自らの組織と他党の強み・弱みを認識している。そして既存政党に打ち勝つために、極めて戦略的に「中間共同体の弱体化」と「社会の分断」を押し進めてきた。
同時にインターネットやSNSを駆使し、時にはウソも織り交ぜながら、個人への直接的な働きかけを強めることで、維新の支持層は確実に社会全体に広がっていった。

一方で松本さんは、経営上の理由などから関西のマスメディアの「報道する力」が低下していると指摘する。
在阪メディアの報道力の低下は安直な番組制作を招き、そこにコストのかからない行政職である知事や市長の出演が歓迎され、無批判に偏った情報が垂れ流される状況が生まれてしまっている。そして、ジャーナリズムの後退が維新とマスメディアの相互依存、共犯関係をますます深化させ、現在にまで至っている。

 

インターネットによる個人へのアプローチと、テレビを中心としたマスメディアによる一方的なマスに向けた情報。維新への支持はこの二つが相乗的に作用することで拡大してきた。

維新はこれまでの既存政党のような「左右」、あるいは「保革」の思想信条を第一義としない。これは創設者である「橋下徹」という政治家がそうであったからという理由も大きいが、社会全体が個人化によって多様化し、右か左かという単純なイデオロギーの構図では分類できなくなっていることも大きく影響している。

維新はその政策や言動が、掲げる主義主張や思想信条と必ずしも一致しない特異な政党だ。
なぜそうなるのかと言うと、維新は、多様化し移ろいやすい現代の価値観に対して、自らの政策や立ち位置の方を変化させているからである。そこには固定化されたイデオロギーは返って邪魔になる。

これまでの政治は、自らの信条によって導き出された政策の意義を有権者にどう伝えるかという構図で展開された。しかし維新のそれは、有権者に受ける政策は何かというマーケットリサーチの結果に立脚している。
いわば製品開発におけるプロダクト・アウトとマーケット・インの発想の違いである。
維新の政策立案過程においては、マーケットの意向が最も重要で、自身のイデオロギーは二の次である。場合によってはイデオロギーの方を修正、あるいは偽装する。

事実、維新の会は「保守政党」を自称し、しばしば「極右」とも評されることがあるが、政策的には「大阪都構想」に代表されるように革新的イデオロギーが土台となっているものが多い。
政令市を破壊する大阪都構想をはじめ、既存の組織やシステムの解体、歴史伝統文化への攻撃など、彼らが志向する数々の政策は、「グレートリセット」という言葉が端的に示すように「革命思想」がその根底にある。

一方で、維新が「右翼」を偽装するのは、有権者ルサンチマンやヘイトを煽って支持者の結束を固めようと画策する時であるが、先の革新的な政策的志向と通底するのは、有権者の「破壊的改革願望」に訴求するものであるという点である。

維新の「現状破壊系政策」の数々は、かつての小泉政権による「自民党をぶっ壊す」や「郵政民営化」、民主党政権による「政権交代」などの過去の例を強く意識し、研究し、それらを忠実に模倣している。

これら歴代の日本のポピュリズムに共通しているのは「破壊」と「変革」であり、「(ネトウヨ的な文脈ではない本来の意味における)保守思想」と対極をなすものである。すなわち現在の自民党や維新の会を「保守」とは呼べない。

2000年代以降、保守と革新の定義は大きく揺らいでいる。もはや現代社会は「左右」の対立軸だけでは到底説明できないほど多様化しており、その新たな思想的潮流は「定義」することすらままならないほど複雑に変化し続けている。そしてインターネットを軸としたICTがそれを暴走と呼んでいいほどに加速させている。

この新たな思想の枠組みを俯瞰的に捉え、課題を洗い出し、対処方法を考案することは我々政治に携わる者にとって急務である。

現在の大阪はまさにその縮図であり、大阪の有権者には重責が課せられていると言えよう。