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自民党総裁選を大きく左右する「派閥」とは何か、自民党派閥の源流

自民党の総裁選が白熱しています。

事実上、日本の総理大臣が選ばれることになる選挙ですので、自民党員以外の国民にとっても大きな関心事として捉えられているようです。

当初は河野太郎氏がリードしているとの報道もありましたが、ここに来て情勢が大きく変わったと伝えられています。

実際、今回の総裁選は異例の展開で結果が全く予想できません。その最大の要因となっているのが、国会議員票が固まっていないことです。

今回、異例の事態を招いているのは、自民党内に7ないし8ある「派閥」のほとんどが支持する候補を決めていません。現在は水面下で票の奪い合いが熾烈を極めているとのことで、結果は投票箱の蓋を開けるまでわからないでしょう。

 

さて、自民党総裁選を大きく左右する派閥とはどのようなものでしょうか。

 

派閥とは、表面的には政策や考え方が一致する者同士のグループということになりますが、実際は資金集めやポストを獲得するための力の源泉となる装置です。その力学が最も大きく影響するのが総裁選における票=派閥の人数で、長らく日本の政権にある自民党にとって、その党の歴史はまさに派閥によるパワーゲームの歴史でした。

 

自民党派閥の源流は、自民党が結党された1955年にまでさかのぼります。
まだ戦前戦中の影響が色濃く残るこの時期、日本自由党日本民主党という二つの保守政党の合同により自由民主党は結成されました。しかしこの日本自由党日本民主党は、考え方や政治姿勢において大きく異なる政党だったのです。

日本自由党を率いたのは吉田茂、現在の麻生太郎副総理の母方の祖父にあたる人物です。一方の日本民主党で中心的な役割を担ったのは岸信介、こちらは安倍晋三前首相の母方の祖父にあたります。自由、民主それぞれの政党の政治的志向性は、吉田と岸という二人の政治家の思想信条に深く根ざしたものでした。

 

それを知るために二人の生い立ちを簡単に紐解きましょう。

 

吉田茂は貿易商家の生まれで幼少より英米の文化に触れて育ったと言います。官僚となってからも親英米の考えに寄り、対米開戦に突き進む軍部と対立したりしていました。そしてそれが遠因となって戦時中に軍部によって逮捕されます。しかしそのことが戦後、進駐した米軍から信任を得る結果となり、戦後政府の首相を務めるにまで至りました。
吉田は、戦後の荒廃した日本で国民生活の建て直しを第一に掲げました。軍備や物資を米軍に頼ることで迅速な復興を成し遂げ、その後の奇跡的な日本の経済成長を実現します。経済優先、欧米協調、国内重視という戦後日本の大きな方向性は吉田茂によって定められたと言えます。

 

岸信介は、長州の時代から日本の政治に大きな影響を与えてきた山口県田布施町という町で生まれ育ちました。若い頃より群を抜く秀才で東京帝大を卒業後、農商務省の官僚となります。官僚としても頭角を表し、戦前の満州国に赴任し、経済政策の事実上の最高責任者として辣腕を振るいました。その実績が評価され、帰国後、官僚として東条英機内閣の商工大臣に任命されます。しかし閣僚として開戦の詔勅に署名したことが原因で、終戦後、A級戦犯被疑者として投獄されました。処刑寸前のところで釈放された岸は、公職追放解除後に政界に挑み、初当選からわずか4年で首相にまで上り詰めます。

帝国政府の閣僚だった岸は反米の意識が強く、憲法や安全保障条約についても米国からの押し付けであると捉えていました。その後の岸自身が押し進めた安保改定や改憲の動きは、結党された自由民主党にも受け継がれ、経済、軍備、国民思想にまで至る「自主自立の実現」は自民党の大きな精神的支柱となりました。

ところで岸は、若い頃に北一輝の「国家社会主義思想」に大きな影響を受けており、経済政策的には社会主義的な計画経済を理想としていました。実際に満州国においても計画経済による運営に成功していましたし、最初の選挙では社会党右派からの立候補を模索していたと言います。この点においても自由経済を旨とする吉田の対極にある政治家でした。

 

このように、生まれも経歴も思想的にも政策的にも対象的な二人の政治家のイデオロギーが合わさることによって自民党は生まれました。そしてこの二つの大きな流れは、今でも自民党内に隠然として存在しています。

本稿に先行する研究には様々なものがありますが、吉田の系譜は「保守本流」「豊かさ路線」、岸の系譜は「自民党本流」「自立路線」などと呼ばれているようです。

 

さて、これらを簡単に示したのが次の図です。

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これを見ればわかるように、2000年まではかなり多くの時代で吉田茂の系譜が政権を担ってきました。民主党の流れに連なる派閥でも、石橋、三木、河野一郎は、岸とは民主党合流の経緯も政治的スタンスもかなり異なります。

しかし、2000年以降は麻生政権を除いてずっと岸派の影響を受けた総裁が政権を担っています。そして別稿で述べたように、小選挙区制のせいで対立派閥が存在感を発揮できない状況が続いているのです。

 

いかがでしょうか。戦後の日本の政治の流れと符合するところが感じられませんか?

 

お断りしておきますが、この二つの方向性はどちらが良い悪いというものではありませんし、排他的に二者択一を迫るものでもありません。当然のことながらすべての政治家がこの二つにきれいに分類できるわけもありません。

ただ、これまで二大政党のように絶妙なバランスを取りながら日本の政治を担ってきた自民党の派閥組織が行き詰まりを見せていることは事実であり、改革が求められます。総裁選がきっかけとなり党内の改革が進むことを、いち国民として期待します。

 

以上をお示しした上で、最後に今回の総裁選挙の候補者のプロフィールを簡単に説明しておきます。

自民党の派閥にはこのような大きなバックボーンがあるということを知っていただければ、各候補者の政策や主張も見え方が変わるのではないでしょうか。

 

  • 河野太郎氏は、河野洋平自民党総裁の子息で、父は民主党による2009年の政権交代時の谷垣総裁までは「総理になれなかった唯一の自民党総裁」と言われた不遇の政治家でした。父が領袖を務めた大勇会を前身とする志公会(しこうかい・麻生派)に所属していますが、麻生派は派閥として河野氏を支持せず自主投票としています。石破派が支持を表明しています。
    自身はワクチン担当の行革大臣として国民のワクチン接種事業で一定の成果を上げました。
  • 岸田文雄氏は、宏池会(こうちかい・岸田派)の会長です。宏池会日本自由党の流れをくむ「保守本流」の歴史ある名門派閥です。総裁選所見においても「新自由主義の否定」を明確に打ち出すなど、これまでの政治からの路線変更を掲げています。小渕内閣まで総裁を多く輩出し続け、日本の高度成長期の政権を担いました。自身の派閥による支持のほか、細田派の一部も支持を表明しています。
  • 高市早苗氏は、無派閥ですが、安倍晋三前首相(清和政策研究会細田派)が支持を表明しています。岸信介アイデンティティにまでさかのぼる自主独立、反共姿勢、改憲、経済の拡大成長主義などの方針を強く打ち出し、強硬な保守層からの支持を集めています。
    清和研は森内閣以降、小泉、安倍、福田総裁を輩出し、2000年代以降の日本の政治を中心的に担ってきました。その路線を継承すると思われます。
  • 野田聖子氏は、無派閥です。社会的多様性の尊重と、女性や子ども、弱者のための政策を前面に掲げているのが特徴です。他派閥からの明確な支持の表明はありませんが、他の候補者にはない姿勢を示すことで広い支持を訴えています。

 

参考文献:
吉田茂岸信介」安井浩一郎・NHKスペシャル取材班著 岩波書店
自民党本流と保守本流田中秀征著 講談社
「政界名門一族の査定表」八幡和郎著 宝島社
自民党派閥興亡史」土屋繁著 花伝社
自民党 「一強」の実像」中北浩爾著 中公新書